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“月”が作品にもたらす不思議な陰影

 本編には冒頭から印象的な月が登場します。
 それは、いつもより少し大きめで、気がつくと登場するたびにその存在が大きくなっているのです。
 宮崎監督は、世界のバランスが崩れたために月が接近し、地球が崩壊の危機に襲われていると述べています。
 月の接近により引力のバランスが崩れ、海面上昇が起こり、町は海中に沈んでしまうわけです。

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 しかし月が意味するものはそれだけではありません。
 月は、昔から、女性の象徴であるといわれています。
 ポニョの母親であるグランマンマーレも登場は夜であり、いつも月光に照らされているような光を浴びています。
 月は人間の精神をも左右するといわれています。
 満月の夜には自殺が多いとか、人間の精神に変調をきたすという説もあるほどです。

 また、月齢と潮汐の関係は、人間の生死にも影響するとも言われているように、人間という生物は月によって支配されているといっても過言ではないかもしれません。

“ジブリ美術館の短編作品”との関係

 これまで三鷹の森ジブリ美術館のために作ってきた6本の短編アニメーションの中で行われたさまざまな試行の積み重ねが本作でも反映されています。

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注:写真は「水グモもんもん」 © 2006 二馬力・G


 2001年に美術館で上映を開始した「コロの大さんぽ」からは、絵本風の背景画。美術監督の吉田昇が描く温かみがあってどこか懐かしい画風は、この作品で初めて採用されたものでした。
 2006年から上映している「水グモもんもん」からは細かく描き込まれた水中表現を。
 同年の「やどさがし」からは、作画による木や草、風の表現などを。
 また「星をかった日」からは、CGによるマッピングに頼らない立体物の表現など。

 これらの経験により、今回はCGを使用しなくても作品を完成させることが出来たのです。
 セルを使わない現在のアニメーション制作では、背景とキャラクターの合成や光の効果を加える際のコンピューター処理は不可欠です。
 しかし、登場する全ての動くものを作画した本作の画面からは、全てを人間の手で描いていることにより生まれる、ある種の凄みさえ感じられます。

“ワーグナーの「ワルキューレ」”を聴きながら

 宮崎監督がこの作品の構想を練っている最中にBGMとして良く聴いていた音楽は、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の全曲盤でした。
 「この音楽を聴くとアドレナリンがでる」とスタッフに話していたという証言もありますが、かのヒットラーが第二次世界大戦のドイツのプロパガンダに使用したように、ワーグナーの音楽は人間の精神を高揚させる力に溢れています。

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 そんな「ワルキューレ」が作品に影響を与えたとしても不思議なことではありません。
 ポニョの本名が“ブリュンヒルデ”という設定で、それがワルキューレという空駆ける9人の乙女たちの長女の名前から来ていることや、娘を心配する父ヴォータンの魔法で眠らされてしまうこと、そもそもワルキューレの世界観が、今まさに終わりの時を迎えようとしている神々の世界が舞台であることからも推察できます。
 楽劇に登場するヴォータンは神々の長であり、世界の終焉を回避しようとあれこれ奔走する設定。
 そこにはポニョの父親フジモトの姿が浮かび上がってくるではありませんか。

“夏目漱石”に意外なルーツ

 「ハウルの動く城」の制作後に宮崎監督は、夏目漱石全集を読みふけりました。
 それは、「崖の上のポニョ」に意外な影響を与えていたのです。
 漱石の、『三四郎』『それから』に続く前期3部作の3作目にあたる『門』の主人公の名は“宗助”。
 その宗助は「崖の下の家」に住んでいるというのです。
 こうしてみると、字は違いますが、ポニョの主人公“宗介”のもとになったことは明らかです。

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 また、初期の作品、『草枕』はロンドン留学時代に目にしたであろうテート・ブリテンに所蔵されているミレイの“オフィーリア”がヒロインに重ねられていて、話中にオフィーリアについての記述があることは良く知られています。
 この魔性の絵に興味をもった宮崎監督は、実際に訪英し、この絵を目の当たりにします。
 これに衝撃を受けた宮崎監督は、「精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい」との決断をしたといいます。
 全ては、夏目漱石から始まったのです。
 驚くべきことに、夏目漱石の誕生日は旧暦の1月5日。
 宮崎監督は新暦の1月5日が誕生日です。
 ここにも、不思議な縁を感じずにはいられません。

“古代魚”たちの秘密

 嵐によって起こった海面上昇で水没した町に現われたのは、古代デボン紀の水中生物たちです。
 例えば“ボトリオレピス”や“ディプノリンクス”というのは、実際にデボン紀に棲息し化石が見つかっている生物ですが、もう一匹登場している“デボネンクス”はジンベイザメのように巨大で、胴体は妙に薄っぺらいユニークな形をしています。

 実は、これは監督の想像上の古代生物です。監督曰く「“いったんもめん”みたいでしょう」と。

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 架空の巨大な虫たちをたくさん登場させた、「風の谷のナウシカ」のように、観客を圧倒させながらも、全く違和感のないフォルムに、宮崎監督の想像力と生物学に対する造詣の深さを感じることができるエピソードです。

“波の表現”の挑戦

 今作で宮崎監督が力を入れたのが“生きもののような”波の表現でした。
 水魚という巨大な魚がひしめき合って押し寄せてくる波のイマジネーション。
 波を巨大な魚と見立てて圧倒的なボリューム感で描かれる荒れ狂う波の表現です。
 それが魚に見えるのは宗介のような子供に限られていて、リサを始めとした大人たちにはただの波にしか見えないというのです。
 まさに、トトロの精神がここにも生きています。
 子供たちの純粋な眼でものの本質を見抜く。
 これは、監督が創作活動において一環して貫いているゆるぎない信念でしょう。

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 宮崎駿は葛飾北斎以来の波の表現を打ち立てたと言えるのかもしれません。

“ラーメン”へのこだわり

 宮崎作品にはおいしそうな食べ物がたくさん登場します。
 ラピュタの目玉焼きパンや、千尋の天丼やあんまん、おにぎり。
 ハウルのベーコンエッグ等。
 今作で一番の注目はリサが宗介とポニョのためにつくった即席ラーメンです。
 宮崎監督は、ホウレンソウをのせたラーメンが好みだそうですが、これがなかなかうまく描けない。
 その結果、ネギになったということです。
 また、ラーメンの上に二枚のせられたハム一枚をポニョが取って食べるシーンでは、アニメーターが上のハムを取って食べるように描いていたものを、作画監督のチェックで、汁に接してより熱くなっているだろう下のハムを取るように修正しているのも、細かいこだわりです。

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 このように、一杯のラーメンにおいても、細かな演出の配慮とこだわりが感じられる作品です。

“グラジオラスの花”に込められた思い

 宗介が通う“ひまわり園”や隣の“ひまわりの家”にはグラジオラスの花が咲いています。
 グラジオラスの花言葉は、「情熱的な恋・思い出・努力・忘却」など、ひとつの花がこれだけ多用な意味を持つ花は、そんなに多くはありません。

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 この映画の美術設定を美術監督と作っている時、宮崎監督は、グラジオラスを登場させることに強くこだわったのだそうです。
 グラジオラスは球根から育てた経験がある人も多いという、とても親しみのある花です。
 ポニョの一途な情熱的な想いや、宗介の与えられた試練に対する努力、映画の出来事がまるで白日夢のようで、事件が終われば何事も無かったように、全てを忘れて普段の生活に戻っていくであろう作中の人々など、それを陰から見守る存在として、こっそりグラジオラスの花を咲かせていたのだとしたら・・・。

“水没する町”ふたたび

 宮崎監督の作品にはたびたび水没する街が登場します。
 有名なところでは「ルパン三世 カリオストロの城」('79)の最後に現われるローマの街。
 「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」('73)の大雨で水没したミミちゃんの町。
 今回も宗介とリサが住む町が水中に沈んでしまいます。

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 いずれにも共通しているのは、濁流の濁った水ではなく透明な水に沈む街であるということです。
 水没というアクシデントを描きながらも、悲劇性よりも子どものころに感じた非日常的ワクワク感が思い出される情景になっています。
 宮崎監督は以前「ファンタジア2000」('00)を観たときに、「惜しい。自分だったらフラミンゴが踊る水面下に沈んだ街を描くのに」と述べたことがあります。
 宮崎監督の意識には沈んだ街のイメージに対するこだわりがあるようです。