「借りぐらしのアリエッティ」作品紹介
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「借りぐらしのアリエッティ」企画のはじまり プロデューサー 鈴木敏夫
  宮崎駿が、この企画をやろうと言い出したのは、2008年の初夏だったと記憶しています。
一方、ぼくは、別の企画を考えていて、どっちがいいのか、何度も議論を尽くしたのですが、ふたりとも譲らず、これじゃあ、何も決まらないので、結局、ぼくが年上の宮さんを立てることで決定に至りました。
この「床下の小人たち」は、なんでも、その昔、宮さんの若き日に、高畑さんと一緒に考えた企画で、数えてみると、40年近くも前のことになります。それをふと思い出した宮さんが、ぼくに読むように薦め、強引に説得してきたのです。自分たちの若き日への憧憬があったのかもしれませんが、こういうことは、ジブリでは間々あることなのです。
しかし、いま、なぜ、「床下の小人たち」なのか? その質問をすると、宮さんは苦し紛れにいろんなことを言い出しました。この話の中に登場する「借りぐらし」という設定がいい。今の時代にぴったりだ。大衆消費の時代が終わりかけている。そういうときに、ものを買うんじゃなくて借りてくるという発想は、不景気もあるけど、時代がそうなってきたことの証だとも説明してくれました。
で、気の早い宮さんは、早速、企画書を書いてくれました。


メアリー・ノートン作「床下の小人たち」より。
舞台を1950年代のイギリスから、現代2010年の日本に移す。場所は見慣れた小金井かいわいで良い。古い家の台所の下にくらす小人の一家。アリエッティは14歳の少女、そして両親。
くらしに必要なものはすべて床の上の人間から借りて来る「借りぐらし」の小人たち。魔法が使えるわけでもなく、妖精でもない。
鼠とたたかい、ゴキブリや白蟻になやまされつつ、バルサンや殺虫スプレーをかわし、ゴキブリホイホイや硼酸ダンゴの罠をのがれ、見られぬよう目立たぬよう慎ましくも用心深く営まれる小人たちのくらし。
危険なかりに出かける父親の勇気と忍耐力、工夫し切り盛りし家庭を守る母親の責任感、好奇心とのびやかな感受性をもつ、少女アリエッティ。ここには古典的な家族の姿がのこっている。
見慣れたはずのありきたりの世界が、身の丈10cmほどの小人たちから眺める時、新鮮さをとり戻す。そして、全身を使って働き動く小人たちのアニメーションの魅力。
物語は、小人たちのくらしからアリエッティと人間の少年の出会い、交流と別れ。そして、酷薄な人間のひきおこす嵐をのがれて、小人たちが野に出ていくまでを描く。
混沌として不安な時代を生きる人々へこの作品が慰めと励ましをもたらすことを願って……。
2008.7.30 企画・脚本 宮崎 駿

タイトルは最初「小さなアリエッティ」でした。
大胆な改変だと思って、理由を聞くと、宮さんは「アリエッティ」という言葉の響きが好きで、その名前をずっと覚えていたんだそうです。
しかし、宮さんが話していた「借りぐらし」という言葉がタイトルに入っていません。そのことを指摘すると、宮さんは、あっさりと、現在のタイトル「借りぐらしのアリエッティ」に変更をしました。
さて、となると、あとは、監督をだれにするのか?
これは、難題でした。というのも、ジブリ作品は、高畑勲と宮崎駿が代わりばんこに作ることで成立してきたスタジオで、気がつけば、ふたりとも高年齢を迎えています。いくら老いてますます盛んといっても、限界があります。「ゲド戦記」で若い宮崎吾朗を起用したように、若い力が必要でした。
だれにするの? こういうとき、宮さんは突然、ぼくをスタジオの責任者として扱います。しかも、考える余地を与えてはくれません。
そこで、すかさず、ぼくは、現在、監督をしている米林宏昌の名前を持ち出しました。通称「麻呂」、麻呂がいいと思うのですが。宮さんの表情に驚きが走りました。え、なぜ? 鈴木さん、いつからそんなことを考えていたの? 2、3年前からですかねえ。 こういうときは、気合いです。ぼくにしたって、麻呂とそんな話をこれまでしてきたわけではありません。問われるままに、名前を出したに過ぎないのです。
ちなみに、麻呂は、ジブリで一番上手なアニメーターです。「崖の上のポニョ」では、“ポニョ来る”のシーンを担当し、宮さんを唸らせたアニメーターです。
よし、あいつを呼んで話をしよう! 事が決まると、行動も早い宮さんです。早速、宮さんのアトリエ二馬力に、彼を呼んで、ふたりで説得です。
まず、宮さんがずばり、言いました。麻呂、これが今度の企画だと言って、原作の本を見せて、で、お前が監督をやれ! そう切り出したのです。
普段、滅多なことでは表情を変えない麻呂が驚きました。監督って、思想とか主張が必要ですよね。ぼくには、それが無いし。そこでぼくと宮さんが大きな声で同時に叫びました。それは、この原作に書いてある! 麻呂は、茫然としましたが、しばらくして、監督を引き受けることになるのです。
その後、麻呂は、最初のうちこそ、宮さんの表情を伺っていましたが、覚悟を決めたのか、絵コンテを描く段階になって、もう、宮さんには相談しないと決めて、そのことを宮さんにも話しに行きました。
宮さんは、そうだ、それこそ、男だ! とかなんとか言って、現在は、麻呂の描いたコンテに従い、スタッフ全員が、この作品に掛かっています。制作ですが、いまのところは、順調に推移していますが、心配の種はただひとつ、宮さんのことです。宮さんがいつ何時、この作品に乱入してくるのか。麻呂のことが気になっているに違いないからです。


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