「野中くん発 ジブリだより」11月号

 すでに報道があった通り、長年ジブリで仕上部門の責任者を務めていた保田道世さんが、病気のため10月5日に亡くなりました。77歳でした。

 保田さんはほぼすべてのジブリ作品で色彩設計を担当し、キャラクター等、画面の中で背景の手前で動く部分(デジタル化以前だとセル画で描かれていた部分)の色を決めてきました。色のセンスが大変優れていたのはもちろんですが、色指定の膨大な仕事量を手早く的確にこなす効率性・合理性がすごく、また、多くのスタッフがいる仕上という部署をとりまとめ、外部の仕上スタジオとのやりとりも行うなど、仕上工程の制作管理的な役割も広く担っていました。なので社内での存在感はとても大きなものがありました。

 保田さんがアニメーションの仕事を始めたのはジブリの出来るはるか以前の1958年。発足後間もない東映動画(現・東映アニメーション)に社員一期生として入社し、以後一貫して仕上の仕事をしてきました。当初は主にCMやTVアニメでトレース(動画の線をセルに筆で描き移す作業)を担当しましたが、組合活動を通じて高畑勲さんや宮崎駿さん達と知り合い、「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年・高畑勲監督)制作に参加します。以後、会社を変わりつつ様々な作品に携わりますが、70年代半ばからは色彩設計に本格的に取り組み始め、「未来少年コナン」(1978年・宮崎駿監督)「赤毛のアン」(1979年・高畑勲監督)などでの仕事を経て、「風の谷のナウシカ」(1984年・宮崎駿監督)以降ほとんどのジブリ作品の色彩設計を担当したのは前述の通りです。「崖の上のポニョ」(2008年・宮崎駿監督)終了後、一旦は現役を退いたのですが、宮崎駿監督が強く要請し「風立ちぬ」(2013年)で再登板、またも素晴らしい仕事ぶりを発揮してくれました。高畑監督が同志、宮崎監督が戦友と呼んだことからも、いかに保田さんが両監督から信頼されていたかが分かります。

 新しいことにも柔軟に対応出来る人でした。「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年・高畑勲監督)から、ジブリも全面的にコンピューターを使ったデジタルペイントに切り替わりましたが、必要な知識を学んで、この大転換に完全に順応していました。

 今でも、モノトーンの服に身を包んだおしゃれな保田さんが目に浮かびます。改めまして、ご冥福をお祈りいたします。本当に有難うございました。