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対談 亀渕昭信×大瀧詠一(1/6)Until 1963, From 1964

亀渕昭信のロックンロール伝

ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした

亀渕昭信のロックンロール伝 ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした

著:亀渕昭信
発売:ヤマハミュージックメディア

A5判ソフトカバー
324ページ
定価1890円(本体1800円+税)
ISBN 978-4-636-86923-1

1963年のアメリカ、2011年の日本。

ロックンロール、震災後の社会そして ── 。

『亀渕昭信のロックンロール伝 ビートルズ以前、16歳の僕はドーナッツ盤に恋をした』(発売:ヤマハミュージックメディア)の刊行にあたって、著者の亀渕氏と、かねてから交流のあった大瀧詠一氏との対談をお送りする。

ミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、エンジニア、DJなど多彩な顔を持つ大瀧氏だが、じつは岩手県出身ということもあり、3月11日の東日本大震災以降しばらく活動を休止しており、この対談が仕事再開のひとつとなった。

対談のメインテーマは、亀渕氏の著作に書かれたアメリカの50~60年代のロックンロールにまつわる話だったが、そこからアメリカの社会問題とヒットチャートの関係や、日本人の琴線に触れるメロディー、メディアと音楽の関係、そして3.11後の「作り手の課題」に対するふたりの考えなど、対話はさまざまな方向に広がった。

初出:『熱風』2011年10月号

亀渕:僕は大瀧さんの発想の仕方とか物の考え方が、とっても面白いとずっと思っていて、それで今回の対談をお願いしたんです。この本で僕はおもにビートルズ以前のポピュラー音楽やロックの歴史について書いていて、そういった視点のものは、たとえば音楽評論家の萩原健太さんをはじめ何人かの方が書いていらっしゃる。もちろん大瀧さんもラジオ─70年代の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」(ラジオ関東、現在のラジオ日本)や十何年か前の「日本ポップス伝」(NHK-FM)といった番組で、ビートルズ以前の音楽について喋っています。僕がそれと同じことをやっても仕方がないから、自分がリアルタイムで感じたこととか、自分が働いていたラジオ業界のことも含めての、ポピュラー音楽史を書きたかったという気持ちを持っていた…。

大瀧:亀渕さんの本には、1963年までのポップスの魅力が書かれているわけだから、「63年までのポップスがどう良かったのか」が今回のテーマだよね。

編集部:はい。本には音楽とそれを作ったり歌ったりしたミュージシャンや音楽関係者の破天荒な生き様なんかも書かれていて。ああこんな面白い人がいたんだとか、こんな古いものだけど、見方を変えれば今に通じるものがあるんだと思ったんです。

大瀧:ビートルズ以前のポップスの話を初めて聴いた人にとって、それは懐かしさではないし、今は63年以前の音楽を初めて聴く人も多いだろうから、そういう人たちにも面白さや見方を知ってもらいたいと─。

編集部:そこで参考になると思ったのが、大瀧さんがご自身のホームページに書かれていた、この本についての文章です。その一部を引用します。

私がポップス・ファンになった1962年には、亀渕さんは既に「送り手側」におられたわけで、私は送り出されるままを素直に受け取っていたリスナーでありました。亀渕さん、朝妻さん(※1)、木崎さん(※2)、皆さんによって「育てられた」のであります。全員の認識の共通点は、("until 1963 / from 1964" ということですね。ロックンロール誕生からビートルズ登場以前が、BB(Before Beatles) 以降が、AB(After Beatles) ポップス史は明確にここにラインが引けます。

ただ、これは「断絶」ではありません。また「不連続」でもなく、前の「地層」の上にチョット離れたところから「火山灰」のように大量に飛んできて降り積もったのです。(下の「腐葉土」は豊潤でしたし、また同じ「火山帯」だったので「同質」の灰でした)

55年(或いは56年)の「ロックンロール誕生」時も同じような構造でしたが、あれはアメリカの「国内」で起きたことでした。64年は「英国」からの改革というのが "アメリカン・ポピュラーミュージック史" としては全く新たな現象でした。亀渕さんが仰るように、確かにポップス史として語られるのは「64年以降が多い」と私も感じています。また「63年以前」ならお三方がおられます。私の役目は「63と64」の間がどう繋がっているかを明らかにすることではないかと、そう思っております時代の「変わり目」の混沌とした状況が好きなのです)

大瀧詠一「Niagara Radio Days」より抜粋

大瀧:これは要するに「視点」の話なんですね。結局、クリエイティビティとか言っても、じつは視点の持ち方だったりするわけです。音楽も、オリジナルよりもカバーのほうがわかりやすいことがある。カバーって結局、どの視点で再構築するのかということだから。音楽以外でも例えば小林信彦さんが『坊っちゃん』を「うらなり」の側から書くというのも視点だし(『うらなり』)、サリエリを主人公にしてモーツァルトを描いた映画『アマデウス』とかも視点の話。大事なのはじつは視点であって、たとえばこの本にも、ドーナッツ盤=45回転のEP盤と33回転のLP盤の話が載っているよね。

亀渕:LPが1948年、EPが1949年にそれぞれ発売されたという話だね。

大瀧:僕は、LPが誕生したのと同じ年に生まれて、62年から63年にかけてはちょうど中学生。その頃、亀渕さんはニッポン放送でアシスタントをしていて、洋楽で面白そうなものを倉庫で見つけてきては、これを日本で発売できないかとレコード会社に提案をしていた。そして発売されたシングル盤を僕は買っていた。だから、僕はこの本に書かれていることについて語るのにもっともふさわしい人間なんじゃないかって思ったんだけどね(笑)。それにしても、この本に載っているエヴァリー・ブラザースとのスリーショットが素晴らしい。これはほかではあり得ない。これだけでもめちゃくちゃ価値がある。

亀渕:これはロサンゼルスのRCA。スタジオへ行ったら彼らがいたんだ。実は僕の義理の父が日本から誰か ── 例えば雪村いづみさんとか音楽関係者の方がL. A.にやってくると、その仕事をコーディネイトするような、そんな仕事をしていた。その父に「きょうはRCAへ行く」と言われたので「一緒に行きます」と言ったら、たまたま彼らがいたんですよ。ほんとに偶然。そういえばエヴァリー・ブラザースって日本に来ているんだよね。

大瀧:何年頃?

亀渕:たぶん66~67年頃。進駐軍向けの公演で来日しているんだ。僕はニッポン放送で仕事があって行けなかったんだけど、友達が羽田で彼らをつかまえて、サインをもらってきてくれたんだ。

大瀧:それも、載せなきゃ。(笑)

亀渕:いいよ、勘弁してよ……。

大瀧:だって、エヴァリー・ブラザースのサインを持っている人なんかほとんどいないよ。僕はその価値がわかるけど、あり得ないもの、エヴァリーと一緒の写真とサインを持ってるなんて。

亀渕:大瀧さんとはその後、70年代から80年代にかけて、とっても面白い仕事をご一緒させてもらって、本当に感謝しているんだ。実験的な「ヘッドフォン・コンサート」(1981年、渋谷公会堂)、オーケストラと共演した「オールナイトニッポン・スーパーフェス」(1983年、西武球場)、はっぴいえんどを再結成した「オール・トゥゲザー・ナウ」(1985年、代々木国立競技場)…。

大瀧:あの頃、ほかの依頼は全部断っていたのに、何で亀渕さんの仕事は受けるんだって、業界で話題になっていた。でも、頼み方もずるくて、西武球場のときは、「あなたのストリングスを夕方の西武球場で聴きたいんだ」なんて言うわけ。で、断固として断ると背中で寂しそうな演技をする(笑)。

亀渕:お願いといえば、この本の連載時のタイトルは『ドーナッツ盤に恋をして』で、これはもちろん大瀧さんの曲「A面で恋をして」が元ネタ。なので、一言お断りをと思って連載開始前に連絡を入れたんだ。そうしたら、使用については快諾してもらったんだけど、じつはこの曲のタイトルは大瀧さんが考えたんじゃなくて、資生堂のコピーだったんだって。

大瀧:資生堂からCMソングの依頼があって、最初はやる気がなかったんだけど、いちおうキャッチコピーを聞かせてくださいと言ってしまったのが運のツキだった(笑)。このコピーを聞いてその瞬間に曲ができてしまった。

※1 朝妻一郎。音楽評論家、プロデューサー。元ポール・アンカ・ファンクラブ会長、現フジパシフィック音楽出版会長。

※2 木崎義二。50~60年代ポップス音楽に造詣が深い音楽評論家。雑誌『ティーンビート』『ポプシクル』の編集発行者でもあった。