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*第8回 堀田氏とスペイン
[ 2004.01.28 ]

堀田善衞氏は『ゴヤ』全四巻を完成させた1977年、日本を離れ、その拠点をスペインへと移します。それ以後、数回の帰国をはさみながらも、1987年12月までの約11年間という長期にわたってスペイン滞在が続きます。


ところで、どうして堀田氏はスペインで暮らすことを選んだのでしょう? 確かに『ゴヤ』執筆を通じて、スペインの風土や文化に深く馴染んだであろうことは想像に難くないです。しかし、好きなだけならば旅行でもいいはずです。スペインで暮らすことに、何か大きな意味があったのでしょうか?

堀田氏は当時、59歳。堀田氏は全集のあとがきで、当時の心境を振り返って次のように丁寧に記しています。少し長くなりますが、一部を略しつつ引用してみましょう。

1970年代の時間の大半は、拙作『ゴヤ』全四冊の準備と執筆に費やされたものであったが、その最終稿において主人物である画家ゴヤの死について書いていて、筆者は、ついにゴヤに死なれてしまった、と痛感したのであった。筆者の生涯において、もっとも大切にしてきた人物の一人に離別されて、さてこのあと何をすべきか、と考えたとき、胸中に大きな虚点が生じた、と感じたのであった。

また、それとは別に、この70年代には戦中戦後にともに文学的出発をしていた。故武田泰淳氏をはじめとしての、多くの僚友たちが、たてつづけにと言いたくなるほどに幽明境を異にしてしまったのであった。それらもまた著者の胸中の虚点を大きくするにいたったのであった。

(中略)

彼らの不在が筆者に与えたものは、色濃い死の影であり、この場合、死の影とは<老>のことに他ならなかった。(中略)<老>に身を包まれているということは、生存者としての筆者にとっては、不毛な未来をしか用意しないであろうとの自覚が、生じてきたのだった。この不毛の予感は、筆者自身にとって一つの脅威でさえあった。

(中略)

そしてもう一つ、日本の社会が(中略)生産から消費への消費社会へと転換することに気付いてもいたのであった。それに加えての情報社会は、文学をもすべて横並びでの娯楽化という情報化をもたらし、情報もまた消費の対象でしかないという、様相をもたらして来つつあるのであった。(中略)

そういう時に、小説家としての自己を如何にして救い出し、そこに内部からの<老>の熟成を如何にしてとげるべきか・・・・

自らの年齢とその裏腹である友人たちの死去、そして高度資本主義社会へと突き進む日本社会。それらの状況がかさなりあった結果、一種の自己防衛策とでもいうような気持ちで、スペインへと旅立ったことが、文章からはうかがわれます。


堀田氏の長女、百合子氏によるエッセイには旅立つ前の堀田氏の言葉として次のようなせりふが書かれています。

「君たちに言っておくことがある。僕のこれからの年月は余生である。もうひと仕事などと期待しないように。」

小説家としてはまだこれからという時期でもあるにもかかわらず、「余生」という言葉を使うところに、堀田氏の心境が感じられるような気がします。


こうして堀田氏はスペインに出発しました。北スペインの小さな村でひと夏を過ごし、アルハンブラ宮殿のあるグラナダに1年、カタルーニア地方の村でまたひと夏、そうして最後にバルセロナで約7年暮らしたそうです。


こうしたスペインでの日々の暮らしは、長年の執筆や、老いについての不安を抱えていた堀田氏にとって、一種のリハビリの効果があったのではないでしょうか。その中でも特に効果があったのが、スペインにおいて『定家明月記私抄』を執筆したことのようです。

先のあとがきで、堀田氏は次のように記しています。

『明月記』を読み進めるに従って、定家卿の年齢が、次第に筆者(編注・堀田氏)自身の年齢に近付いて来てくれることが嬉しかった。

(中略)いまにして思えば、ということであったが、定家卿が筆者自身の、内部からの<老>の熟成を助けにきてくれていたのだった。すなわち、<老>の熟成とは、精神の自由ということであり、それはまた、内面的な若返りをも意味したであろう。(中略)かくてえられた精神の自由は、90年代に入って、筆者が70歳代に達したとき、ミシェル・ド・モンテーニュの城館に近付いて行くことを可能にしてくれたのであった。

『ミシェル 城館の人』全3巻の完結は、94年、堀田氏が76歳のときのことです。言ってしまえば、堀田氏はスペインで、60歳以降の20年間を書き続けるための、スタイルと自由を手に入れたのです。

そういうことを考えながら、堀田氏のスペインに関する著作(実にたくさんあるので、ここではいちいち紹介しませんが)を読まれてみるのもおもしろいかもしれません。

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