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特集コラム「ゲド戦記はこうして生まれる」

2006年5月20日

(3) ─レイアウト(前編)─

 
 一昨日、色彩設計の保田さんを中心に、動画・最後の1カットの、色指定に関するMTGが、メインスタッフブースで行われていました。

 映画の後半には、複雑なカットがまとまってくる為、最終的に線画をとりまとめたメインスタッフが、保田さんを中心に、どう色分けをすべきか、細部を確認し合う必要があるのです。
 
 
20060519_meeting.jpg
『メインスタッフがこうして話し合うのも、あと何回かです……』


 そして同日、監督日誌でも語られていたように、色指定作業が全て終了。


 ジブリ作品の画面は、保田さんの紡ぎ出す「色」によって支えられているのだ──ということを、深く実感した8ヶ月間でした。


 保田さん、色指定担当のおふたり、本当にお疲れ様でした!


 残すは、指定された色をキャラクターに塗る「仕上」と、「CG」、最終的な映像を完成させる「撮影」です。


 本日ゴロウ監督は、午前中にNHKのインタビューを受けた後、アフレコ作業に突入。その様子はまた、監督日誌で明かされる事でしょう。

 
 さて。


 特集コラム「ゲド戦記はこうして生まれる」。

 今回からは、映画制作の第2段階「プロダクション」に入ります。下の「制作フロー」の、赤く塗られたところが、「レイアウト」作業です。
 
 
クリックすると別ウィンドウで拡大表示されます『ゲド戦記・制作フロー』
 
 
●人間の眼の不思議
 
 
 前編の今回は、ひとつ、実験から始めてみましょう。


□実験A


 パソコンの画面から目を外し、今いる場所から、ちょっと遠くの風景を見てください。そして、自分の目の前に、人差し指を一本突き出し、その指をジッと見てみましょう。

 さっきまで見ていた、ちょっと遠くの風景は、どうなっていますか?

 ボケて、よく見えないハズです。

 反対に、風景へ合わせると、今度は指がボケて見えますよね。


□実験B


 次に、指を下ろして、少し遠くの風景を、視線を動かさずに、ジッと見てみましょう。

 視界の中で、ハッキリと見えているところは、中心部のかなり狭い範囲だけで、その他の場所は、なんとなくぼんやりと見えているのではないでしょうか。


□実験C


 では、目の前に見えている風景を、デジカメやカメラで撮影したらどうなるでしょう?

 カメラの設定によっては、違う場合もあるのですが、普通の撮影モードで撮影した場合、画面の隅から隅まで、クッキリと映像が映っているハズです。
 

□検証


 普段、意識せずに、何かを見ている時の事を思い出してみてください。

 テストABを実践してみる前は、自分の目も、テストCの写真の様に、隅から隅見えている……と思っていた方が、多いのではないでしょうか。


 Aの実験で、視線を合わせた部分がクッキリ見え、それ以外がボケて見えるのは、人間の眼が、近くを見る時と、遠く見る時では「水晶体」という、レンズの役割をする部分の厚みを変えている為です。
 近くのモノに焦点を合わせている場合は、遠くのモノはそのレンズに合わないので、ボケて見える、という事ですね。


 Bの実験で、視界の中心部しかハッキリ見えなかったのは、人間の視野には、中心視野と周辺視野というものがあって、物の形や色が細部まで、はっきり認識できるのは、中心視野(=視線を中心とした約20度くらいの範囲)だけだからです。

 試しに、視野ギリギリのところに、何か色のついたモノを持ってきてください。実際に、そのモノが何色なのか、「周辺視野」では、はっきり識別出来ない事が解るハズです。


 それではなぜ、我々は、今見えている世界が、まるで写真のように、クッキリ像を結んだ景色として見てているように考えるのでしょうか? 


●見たものを強調して見る人間の目


 実は、人間の目では、その瞬間瞬間に、ハッキリと見えているのはほんの一部。見ている像が、目の奥で神経信号に変換され、脳の中で合成されて、最終的に全体が見えているように、思わせているのです。


 言い換えれば、人間の目は「見たいものを感覚的に強調して見る」仕組みになっている、と言えるかもしれません。


 普段何気なく見過ごしている、壁に掛けられた時計も、時刻が知りたいときにはグッとクローズアップされて感じる。人間の目と脳って、本当に不思議です。


 驚くべき事に、実際には、眼球を流れる毛細血管も見えていて、その映像が脳に送られて処理される際に、毛細血管が消去されて、「血管は見えなかったこと」になっているのだとか。

 このように、人間の目が実際に見ている映像と、実際に脳の中で合成されて作られる映像は、もしかしたら、大きく異なるものなのかもしれないのです。

 当然、レンズを通して撮影されたカメラの映像も、実際に僕らが目で見ている映像とは、まったく違うものなのだ、という事が、お解りになるのではないでしょうか。


●ジブリ作品のレイアウトの秘密
  

 さて、これからが本題です。

 皆さんは、「パース」という言葉をご存じですか?


 「パース」とは、「パースペクティブ(Perspective)」の略で、日本語では「透視図法」と言います。


 透視図法とは、ルネッサンス時代に、西洋絵画の世界で確立された技法。小学校や中学校時代に、習った方もいらっしゃると思います。


 透視図法の基本は、「近くのもの程大きく見え」「遠くのもの程小さく見える」ということ。

 ここまでは当然ですよね。


 透視図法のもうひとつの特徴は、真っ直ぐな道路があって、その横に立つ建物や看板や、ガードレール等、すべてのものが、1点(消失点)に向かって消える、という点。

 この技法が確立されてから、紙の上にまず、地平線を描き、その先に消失点を決め、人物や画面に存在する全ての物体を、その消失点に向けて描くようになったのです。

 
 ところがジブリでは、

 
 「パースにこだわるな!」


 と、言う言葉をよく、耳にします。


 確かに、パースをつけて、画面を構成すれば、実験Cで示されたように、写真で写したような画面を作ることが出来ます。

 しかし、実験ABで示したように、実際に人間の眼が「感覚的」に見ている映像は、必ずしも、写真で見るようなパースのついた映像ではないかもしれないのです。


 「レイアウトの段階で、何を見せたいのかをハッキリさせ、パースにこだわらず、人間の感覚に近い画面を作ろう」


 これが、ジブリ作品の、画面作りに対する考え方です。


 「ゲド戦記」の企画準備段階から、この考え方に最も賛同し、研究を深めたのが、誰あろう宮崎吾朗監督でした。
 彼は、過去のジブリ作品のレイアウトを徹底的に研究し、「パースに捕らわれない。見せたいものを見せる画面作りを継承しよう」と宣言します。 


 実際に、吾朗監督は、過去のジブリ作品にレイアウトを元に、僕に解説をしてくれました。

 手前にある物体が、見下ろされた状態で描かれているのに、奥にある大きな建物は、見上げた状態で描かれている。これは、巨大な建物の威圧感をお客さんに伝えるために、「パースを無視して」描かれているのだ──と。

 
 1カット1カット、その画面でお客さんに見せたいもの、感じて欲しいものを強調し、効果的に見せる為には、パースにこだわらない、「人間の感覚に近い」画面を作る必要があるということを、僕は初めて知ったのでした。


 勿論これは、アニメーションの画面やキャラクターのスタイルによって使い分けるべきもの。

 リアルな動きで、写実的な画面を目指したアニメーションの場合は、パースがついた画面の方が適しています。要は、その作品に何が向いているか、なのです。


 ちょっと専門的な話になってしまいましたね。


 今回お伝えしたかったのは、「ゲド戦記」では、吾朗監督が、「監督日誌」で語ってきたように、「写実を超えたリアル」な映像を目指している、ということ。


 次回で解説する「レイアウト」とは、映画の1カット1カットで、何を見せたいのか? どのような構図で、どのような演技をキャラクターに要求したいのかを決め込む作業。絵コンテが、「映画の設計図」なら、レイアウトは、「画面の設計図」と言えます。

 「レイアウト」の具体的な解説に入る前に、ジブリ作品の画面に対する考え方を、知って頂きたかったのです。


 「ゲド戦記」では、宮崎吾朗監督自ら、1236カットのレイアウトをチェックし、自身も400カット以上のレイアウトを描いています。

 レイアウト期間、吾朗監督は何度も何度も、「このカットで何をお客さんに伝えたいのか」を自問自答しながら、紙に向かっていました。

 その想いが、確かに画面から立ち昇ってくる事を、ラッシュ上映の度に感じる日々です。

 
 次回は、具体的な「レイアウト」作業について、書いてみたいと思います。