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週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」

2006年5月 5日

部分が全体を作り 全体が部分を作る ─ストーリー・絵コンテ(2)─

  
 前回のストーリー作りに続いて、今回は、「ゲド戦記」で宮崎吾朗監督が初めて挑んだ、絵コンテ制作について、書いてみたいと思います。


●絵コンテとは


 絵コンテとは、監督あるいは演出家が、実際の映画の画面、カット割り、台詞や演技・状況指示などを、4コマ漫画のように、1カット1カット描き込んだものを言います。
 
 
20060506_konteyoushi.jpg
『ジブリで使っている絵コンテ用紙』
 
 
 実写映画では、脚本(シナリオ)を元に、キャスティング(配役)や、ロケーション(舞台)やスタジオの選定が行われ、実際に、現場で役者が演技し、カメラを回して撮影が行われます。

 しかし、アニメーションでは、キャラクターから物語の舞台に至るまで、その全てを、スタッフが手分けをして、ゼロから描かなければなりません。その為、監督がイメージする画面を、具体的な画で示す必要があるのです。
 絵コンテは、その重要性から「映画の設計図」と呼ばれています。

 欧米では、「ストーリーボード(欧米で言う絵コンテ)」という形で、随分前から行われてきた事ですが、最近では、日本の実写映画でも、CGシーンが増えてきた事や、制作費が高騰し、初期の段階で完成映像のイメージを掴む必要性が出てきたこと等から、撮影前に絵コンテが描かれる事も少なくなくなりました。


●「ゲド戦記」の絵コンテ作業


 『世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)』で、鈴木プロデューサーが語っていたように、「ゲド戦記」の絵コンテは、宮崎吾朗監督自らが切って(絵コンテを描く事を、現場では「切る」と言う)います。(一部は、吾朗監督のラフを元に、作画演出の山下さんが清書している)

 鈴木プロデューサーの指示の下、吾朗監督は、過去のジブリ作品の絵コンテ集を手元に置き、見様見真似、独学で絵コンテ作業を開始します。
 当時のメモを繰ると、シナリオ作業が開始された、昨年5月16日(月)には、ラフの絵コンテを描き始めています。「ゲド戦記」は、シナリオ作業と並行して絵コンテ作業が進められ、両者が合流して洗練されてゆく──という、珍しい形で作られていったのです。


 作業を開始するにあたって、吾朗監督は、大胆な提案をします。

 ある日、一枚の紙片を持ってきて、


 「これを壁に貼って、みんなの意見を聞きながら描いてゆこうと思う」


 と、言い出したのです。
 
  
20060506_konte.jpg
『吾朗監督がピクサーから持ち帰ったストーリーボード用紙』
 
 
 それは、「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」等の作品で知られる、アメリカの3DCGアニメーションスタジオ、ピクサーで使われている、ストーリーボード用紙でした。

 吾朗監督は、「ゲド戦記」の準備作業に入る前、ジブリ美術館で催された企画展「ピクサー展」(2004年5月~2005年5月まで開催)の総合デザインをつとめていました。
 吾朗監督は、展示を企画する為に渡米した際、ピクサーのアニメーション制作過程を丹念に研究します。そして、コンピューターを使って行われる3DCG映像制作よりも、手作業で進められる、プリプロダクション(準備段階)にスポットを当てた展示を完成させました。

 その内容は、アニメーション制作現場に身を置く僕にとっても、実に興味深いものでした。今思えば、吾朗監督が長年胸に秘めてきたアニメーションへの想いが、あの展示を作らせていたのかもしれません。アニメーション現場での経験は無くとも、興味と研究には余念がなかったのです。

 ピクサーのストーリーボード用紙を前に、吾朗監督は言いました。


「自分は、絵コンテを描くのは初めてだから、この紙に1カット1カットの画を描いてゆき、それを壁に貼ってゆくことによって、鈴木さんやみんなの意見を聞きながら描きたい。そうすれば、書き直したり、入れ替えたりする事も簡単だし、常に全体像を掴みながら作業を進める事が出来ると思う」


 吾朗監督は加えて、日本とアメリカのアニメーション制作の大きな違いを指摘しました。

 日本における絵コンテ制作は、監督もしくは演出家が、絵コンテ用紙に向かい、ひとりで行う個人作業である。一方、ピクサーでは、多くのスタッフが、壁に貼りだしたストーリーボードを前に、意見を戦わせながら、内容を詰めてゆく。
 今回は、後者で行きたい──と。


 そして、1枚1枚のストーリーボード用紙に、画と台詞・ト書きを書き込み、畳1畳分のスチレンボードに張り出しながら、物語を紡いでいったのです。
 
 
20060506_konte_board.jpg
『スチレンボードに貼り出したコンテの内容を、スタッフに説明する吾朗監督』
 
 
 この方式は、3つの効果をもたらしました。

 
1.絵コンテ制作を公開した事によって、準備室を訪れる鈴木プロデューサーやスタッフの意見や感想を、内容に反映させる事が出来たこと。

2.常に全体像が見渡せるので、物語を客観的に眺める事が出来たこと。

3.スチレンボード1枚=5分という、尺(時間)の見通しが立ったこと。


 吾朗監督は、ある程度物語が進むたびに、鈴木プロデューサーや僕らを呼んで意見を聞き、柔軟に作品へと取り込んでゆきました。(吾朗監督曰く「みんな勝手に見てたじゃん!」とのことですが(笑))
 行き詰まったら、それまで描いてきた絵コンテを並べ、全体像を掴み直し、机に向かう。この繰り返し。

 アニメーションの監督・演出家にとって、非常に大切な素養のひとつに、1カット1カットの秒数(尺)を決め込む、という作業があります。テレビ・映画共に、上映時間には限りがありますから、思いつくままに描く、という訳にはいきません。
 これは、長年の経験がモノをいう領域なのですが、吾朗監督は、作画演出の山下さんと共に、実際に身振り手振りを交えて演技をしながら、1カット1カットの秒数を導きだし、1枚のスチレンボードにつき、大体5分くらいという、平均尺を導き出します。勿論、シーンによってバラツキはあるのですが、「今はボード6枚だから、大体30分くらいだな」という、尺の当たりをつけ、映画の長さを調節していったのです。

 そして、ある程度たまってくると、山下さんと共に、細かな追加や入れ替え、演技プランなどを立て、秒数を確定し、通常のアニメーション制作で使う絵コンテ用紙に、糊で貼り付けてゆきました。
 最終的な確定作業は、絵コンテをパソコンに取り込み、ビデオコンテ(ライカリール)を制作。仮に声をいれて何度も再生し、カットを入れ替えたり、尺を調整して行いました。
 
 
20060506_goro_yamashita.jpg
『完成した絵コンテを元に打ち合わせる吾朗監督(右)と山下さん(左)』
 
 
●「和洋折衷方式」の発明


 吾朗監督は、この絵コンテ作業を、「ピクサー方式」(もともと、ディズニーで行われていた方式)と呼んでいましたが、僕は密かに、正確には違うのでは──と考えていました。むしろ、先に吾朗監督が示した、日米のアニメーション制作の違いを、足して2で割ったような、「和洋折衷方式」だったように思うのです。

 ピクサーをはじめ、海外の映画では、シナリオがあり、それを元に、複数のスタッフが議論を交わしながら、絵コンテ(ストーリーボード)を作り上げてゆきます。そして再び、ストーリーボードの検討結果を、シナリオに反映させる。この繰り返し。

 一方、日本では、シナリオを元に、監督もしくは演出(場合によっては、絵コンテ専任スタッフも存在する)の、個人作業によって絵コンテが作られてゆく。これは良く知られている事ですが、宮崎駿監督の作品には、シナリオも存在しません。頭の中で組み立てた構成を元に、絵コンテ段階で物語を紡ぎ出してゆきます。


 高畑勲監督や鈴木プロデューサーが敬愛する評論家、加藤周一さんの言葉に、こういうものがあります。


「西洋の建築物は、まず全体の構造を作り、そこから細部を造ってゆく。一方、日本の建築物は、細部から全体を、まるで建て増しするように作ってゆく。これが、日本と西洋の文化の大きな違いである」


 これはまさに、日米のアニメーション制作の違いにも当てはまる事だと思います。

 吾朗監督は、シナリオ制作と並行して絵コンテ作業を進め、シノプシスを元に、自分の頭の中で紡ぎ出される物語を、絵コンテに起こしてゆきました。この作業は、実に日本的です。

 一方、それらを公開し、全体像を俯瞰した上で、様々な意見を取り入れ、シナリオと合流して、更にブラッシュアップしてゆくという作業は、米国・ピクサーのやり方にヒントを得たもの。結果、両者の良い部分を取り込んだ、「和洋折衷方式」が、誕生したのです。


 加えて、この間書いてきたように、吾朗監督は、物語に登場する舞台や建築物の構造を、企画準備段階で作り込んでいきました。
 実写映画で、実際のロケーションやセットの中にカメラを据え、画面を決め込んでゆくように、アニメーションにおいても、頭の中にイメージする舞台のどこにカメラを置き、絵コンテを切る事が出来るかが、とても重要なこと。吾朗監督は、それまでの経験を生かし、建物の構造から、太陽や月の位置、風が吹いてくる方向に至るまで、全てを頭の中でシミュレーションした上で、絵コンテを切っていったのです。


 最近「映画制作の経験が初めての吾朗監督に、何故絵コンテが描けたのか」という質問を受ける事が多くなりました。

 その問いに答えるならば、鈴木プロデューサーの上げた「観察力」に加えて、経験を補ってあまりある「和洋折衷方式」という、新しい絵コンテ制作方式を発明したこと、そして、頭の中に、物語に登場する舞台の構造や位置関係が、明確にイメージされていた、という2点を上げたいと思います。

 更に、コンテ制作を公開した事によって、メインスタッフが、映画のテーマやストーリーを、準備段階から、深く理解する事が出来たことも、この方式の大きな利点であったと思います。
 「ゲド戦記」の作画インは、絵コンテが完成してから、わずか2週間弱の、2005年9月6日(火)でしたが、キャラクター制作や美術ボード作業などを、比較的迷い無く進める事が出来たのは、事前にメインスタッフの、内容に対する深い理解があったからなのです。


 こうして、映画「ゲド戦記」は、大きく息づき始めました。


 シナリオは、絵コンテ制作に合流するように、6月6日(月)に完成。
 絵コンテは、Aパート(前半)が6月21日(木)、Bパート(中盤)が7月7日(木)、Cパート(後半)が、8月25日(木)に完成しています。


 これまで、コラム「ゲド戦記」の作り方では、映画制作の準備段階、「プリプロダクション」について書いてきました。

 次回からは、具体的なアニメーションの制作工程を、「ゲド戦記」の画面を例にとりながら、紹介してゆきたいと思います。
 
 
20060506_goro.jpg
『絵コンテ執筆中の吾朗監督(2005年7月1日(金)撮影)』
 
 

※特集コラム「ゲド戦記はこうして生まれる」に続きます。