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2006年6月27日

第百十回 つきぬ心配

明日の初号試写以降の取材と
全国の映画館を回るキャンペーンの予定表をもらって、
そのスケジュールの過密さに仰天してしまいました。

これも監督の仕事だと言われれば、そのとおりで、
取材をしていただけるということは、
本当にありがたいことなのですが、
正直、絶句してしまいました。

とはいえ、
沢山の人たちに見ていただくためにも、がんばらねば
と気を取り直したのでした。

ただ、気がかりなことがひとつあります。
これまでに受けた取材での質問は、
私が監督になった経緯と父である宮崎駿監督との関係に、
かなり集中していました。

当然映画が完成する前ですし、
映画の内容に関する情報が少なく、
取材する記者の方も質問のしようがないのもわかります。
けれど、あまりにも親子関係についての質問が続いていて、
このところ、さすがにうんざりしてきた、
というのが、現在の偽ざる心境です。

先日もそれが理由で、
あるTVの特集番組への協力を断ってしまいました・・・。
これから先はあちこちで試写が始まることですし、
なるべくなら、私と父親との関係は
これまで監督日誌に書いた内容で勘弁していただいて、
質問の方向が変わることをお願いしたいです。

こんなことを書きながら、一方で別の心配もあります。
映画の内容に関して質問されたときに、
きちんと答えられるだろうかという心配です。

自分が作ってきたものが何であるのか、
何を考え、何を目指したのか、
なぜ、このストーリーや表現を選択したのか、
まだまだ自分として整理しきれていない気がしています。

それに、いつも思うのですが、私は自分が作ったものを
自分で解説するのがとても恥ずかしく、苦手なのです。
とうとうと自作について語っている作家の方を見ると、いつも感心します。

この辺は鈴木プロデューサーからも常々、
「ゴロウ君は説明を省略しすぎ!」と言われる原因になっています。
こんなことを考えていると、再びブルーになってくるのでした・・・。