メインコンテンツ | メニュー | リンクメニュー

ページ内容

2005年12月16日

第三回 38歳になって読んでみると

たとえば第一巻で、ゲドは最初、
偉大な魔法使いであるオジオンのもとで修行をすることになります。
しかし、オジオンは一向にゲドに魔法を教えようとはしません。
ついにゲドはオジオンに尋ねます。

「師匠、修行はいつになったら始まるのだね?」
「もう始まっておる。」
オジオンは答えた。
沈黙が流れた。ゲドは口答えしたいのを必死にこらえていた。
が、とうとう我慢できなくなった。
「だけど、おれ、まだなんにも教わってねえ。」
「それはわしが教えておるものが、まだ、そなたにわからないだけのことよ」

オジオンのこうした態度にしびれを切らしたゲドは、
とうとうオジオンの元を離れローク島にある魔法の学院に旅立ちます。
しかし、ゲドは学院でも同じことを繰り返します。

「失礼ですが、お教えいただいているものはどれも似たり寄ったりで、
ひとつわかれば後も全部わかってしまいます。
それに魔法が切れればせっかくのものも、みんなもとにもどってしまう。
そこで、教えていただきたいのですが、
たとえば小石をダイヤモンドに変えたとして、(中略)
このダイヤモンドをいつまでもダイヤモンドでおくには、
どうすればいいのでしょう」

高校生だった私は、オジオンやロークの長たちの考えを理解しつつも、
がむしゃらに学ぼうとするゲドの側に立って物語の中に入っていきました。
だから、ゲドがその野心ゆえに自らの影を呼び寄せてしまうという失敗を犯したとき、
ともに傷つき、そしてともに回復していくことができました。
しかし38歳という年齢になったいま読み返してみると、
最初からオジオンやロークの長たちの言葉に共感している自分を発見しました。
ゲドの態度に傲慢さを感じ、それが鼻についたのです。