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2005年12月13日

前口上 父は反対だった

 父・宮崎駿は、私が『ゲド戦記』を監督することに反対でした。
 唐突に聞こえるかもしれません。しかし、まず、これを明らかにしておきたいと思います。
 そして正直に言えば、こうしてネット上に日誌を開設し、私が皆様の前に出ることは、決して私の望むところではありませんでした。もし、私が自らの声で語りたいことがあるとすれば、それは、
 「できあがった作品を観てほしい」
 これだけです。
 監督としての私の望みは「まっさらな気持ち、雑念のない状態で『ゲド戦記』を見てほしい」  これだけなのです。

 しかし、『ゲド戦記』の宣伝が開始されれば、好むと好まざるとに関わらず、それを監督する私に「宮崎駿の息子」という形容詞が冠されることは容易に想像がつきます。これに対して鈴木敏夫プロデューサーの出した結論は、「作品そのもので応える」ことはもちろんだが、「作品そのもので勝負するためにも、『宮崎駿の息子』ではなく一人の人間としての宮崎吾朗を知ってもらうべきだ」というものでした。
 いろいろと悩んだ末、私もこの考えに同意しました。つまり順序は逆であったとしても、この日誌をとおして、監督である私が何を考えてきたのかを伝えることによって、『ゲド戦記』という作品を先入観なく観てもらうことを試みることにしたのです。
 そしてその手段としてインターネットを採用したのは、これが最もダイレクトに人々とつながることができるメディアだからです。もちろん、従来のようにマスコミの取材を受けたり、記者会見を開くという案も検討されました。しかし前述のような試みをするためには、メディアというフィルターを通さない方法のほうが、より率直なかたちで考えを伝えられるのではないかと考えたのです。

 最初に述べた、父が反対した理由をここで性急に述べることはしません。それは、今後、私が監督を務めるにいたった経緯や日々の制作状況をお伝えしていく中で明らかしていくべきだと思います。

 最後に、私が『ゲド戦記』監督を引き受けた理由は二つあります。『ゲド戦記』という物語に魅力を感じていたことが一つ目。そして二つ目は、父との関係もありこれまで長く気づかないふりをしてきたアニメーションへの想いが拭いがたく自分の中にあることに気がついたからです。

 公開前に映画の内容を具体的に云々はしたくありませんが、私が映画を通して伝えたいテーマは、はっきりしています。
 「いま、まっとうに生きるとはどういうことか?」
 そして、これは私がそうありたいと願う生き方であり、この日誌のテーマでもあるのです。

                                12月吉日 宮崎吾朗