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週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」

2006年2月 3日

自分探しは必要か? ─テーマ(3)─

 
 気の滅入るようなニュースばかりが続いています。

 「自分さえ良ければ、他はどうでも良い」

 そんな空気が、蔓延しているような気がします。

 
 斯様な事を考えながら、ふと、映画の企画が動き始めた時の事を思い出しました。自分ばかりが大事になってしまった現代において、どういう映画を作るべきか。「ゲド戦記」の企画が、この問いかけからスタートしたことを。


 今回は、「テーマ」の最終回。一冊のベストセラー書籍をきっかけに、監督・プロデューサー・スタッフが、企画段階において、現代をどのように向き合おうとしたのかを、振り返ってみたいと思います。


 「ゲド戦記」の企画が立ち上がって間もない、2003年の末。

 宮崎吾朗監督と僕らは、鈴木プロデューサーと、原作『ゲド戦記』を通して今、どのような映画を作るべきか、格闘していました。

 かつて、多くの映画のテーマは、貧困や差別の克服が、主たるものでした。搾取に苦しむ農民と、野武士との戦いを描いた、黒澤明監督の「七人の侍」。家柄の異なる男女の、禁じられた愛を描いた「ロミオとジュリエット」。克服すべき状況にあらがい、成長してゆく登場人物に感情移入して日々の活力を得る、それが、映画に求められた事でした。
 しかし現代は、映画に限らず、物語のテーマを見つけることが困難な時代です。日本という国が、経済的に豊かになり、貧困や、差別的環境の克服がテーマたり得なくなってしまった現代、我々は次の主題をどう探したら良いのだろう?

 その頃、スタジオで、当時ベストセラーランキングを上昇中だった、養老孟司氏著『バカの壁』(新潮新書)が、話題にのぼっていました。高畑勲監督がいち早く読んでいて、その後、鈴木プロデューサーが読み、僕らも薦められて、手に取りました。

 同書が発売された直後は、帯に「話せばわかるなんて大うそ!」と書かれていた事もあって、頭の良し悪しによって生じる、コミュニケーションの壁について書かれた本だと、誤解されていた事も多かったように思います。
 しかし、同書の本質は、現代を生きる我々の抱いてきた価値観を、様々な視点から、大きく転換した事にありました。

 特に興味深かったのは、「自分なんて無い(原作では「私は私、ではない」)という、価値観が記されていた箇所。
 現代人は、情報は日々刻々と変化し続けるが、自分は変わらない、自分には絶対不変の「個性」があるという勘違いをしている。しかし、本来は逆の筈。情報は不変だが、人間は、内面・外面共に変化し、流転してゆく存在。そんな自分を、「変わらない個性のある自分」と思いこむのは、間違っているのではないか? 頭だけではなく、身体も大事にしなければ、まっとうに生きてゆく事は出来ないのではないか? 同書は、身体論・共同体論・教育論にまで枝葉を伸ばしながら、都市化して現代人が失ったものを、解き明かしてゆきました。


 『バカの壁』に、最も大きな共感を示したのは、吾朗監督でした。

 監督は、自身が信州大学の農学部に在籍していた事もあり、都市で生活するよりも、自然と共にあった方が人間はまっとうに生きられる、という価値観の持ち主です。この間の「制作日誌」でも紹介してきましたが、身体を動かし、自然に近いモノを食べるという、古典的な生活スタイルを貫いています。ちなみにファッションも、実用的なアウトドアブランドが中心です(笑)

 「監督日誌」を読んで頂いている方々は、感じて下さっているのではないかと思いますが、吾朗監督という人は、実践主義者です。将来に対する不安にばかり目を向けて立ち往生している若者に対して、自分の事ばかり考えていてもしょうがない、目の前の事を一所懸命やれば、きっと道が開けるよ、と叱咤激励します。
 鈴木プロデューサーも、将来に大きな目標を持つよりも、目の前の事をひとつひとつやっていれば、未来は拓ける、という価値観の持ち主。ジブリは総じて、そういう人が集まっているように思います。


 情報化と都市化によって、心と身体のバランスが崩れ、意識中心となった「脳化社会」。その中で、個性尊重=自分中心の価値観が、ぬぐいようが無いほど根付いていった。
 でも、人間はひとりでは生きられない。本当に目を向けるべきは、自分自身よりも、自分以外の誰かなのではないか。当時、吾朗監督が、そう言っていた事を思い出します。

 『バカの壁』と出会い、大いに共感する一方、現代が、個性や自分中心の世界を越えた、新しい価値観を必要としているのではないか、と考えるようになったのです。

 監督日誌の「前口上」にあった、


 「いま、まっとうに生きるとはどういうことか?」


 という言葉は、このような企画段階の試行錯誤を経て、発せられたものなのです。
 
 
 これまで、このコラムで、「ゲド戦記」の企画段階のエピソードを紹介しながら、映画の企画とテーマについて書いてきました。次回からは、具体的な映画制作について書いていきたいと思います。
 実際に作品の映像をお見せできる時期になりましたら、アニメーション映画がどうやって作られているか、その過程もご紹介したいと考えておりますので、引き続きご贔屓の程、宜しくお願い致します。