制作日誌 1996年9月


96.9.04(水)
 宮崎監督が、すでに上がっているDパート22、26ページを描き直す。スタッフに早速配布。
 宮崎監督が来たるべき関東大震災に備えて、災害訓練を兼ね、会社で芋煮会を行うことを表明、早速古林さんと味付けその他について激論を交わしていた。
 災害訓練&芋煮会に備え、宮崎監督から出た「震災の時にすぐ会社に駆け付けることができる独身社員を10名ほどピックアップせよ」との指令に基づき、会社から2キロ圏内を目安に10人ほど人選するが、「5キロぐらいなら歩いても大丈夫だ」との宮崎監督の意見を取り入れ人選のやり直し。

96.9.05(木)
 大塚伸治さん打ち合わせ。CUT1,233~1,268まで35CUT分。

96.9.09(月)
 宮崎監督が今月絵コンテアップ断念宣言。曰く「今月は落ちる」。
 高畑さんがいよいよ次回作の準備のため明日からスタジオIN(ホントか?)。その準備室作成の為、編集室の大改造を実施することに。

96.9.10(火)
 箕輪さんの打ち合わせが行われる。絵コンテ不足の為CUT1,224~1,232まで9CUTだけ。
 ブエナビスタホームエンタテイメントインターナショナル(ディズニーグループ)社長マイケル・ジョンソン氏来社。

96.9.11(水)
 朝から社員の歯科検診。
 笹木君の打ち合わせが行われる。CUT1,269~1,284まで16CUT。
 通信販売で頼んでおいた、世界2大自転車レースの一つ「ジロ・デ・イタリア93」のビデオが届き、早速宮崎監督へ。

96.9.12(木)
 テレビマンユニオンの浦谷さんが来社、取材。
 「ジブリがいっぱい」の原画展には、すでに予想していた入場者数を超える、3万5千人以上の人が来ているそうだ。

96.9.13(金)
 宮崎監督の赤い三輪車が、長い闘病生活から今日復帰。監督は朝からそわそわ。
 オムニバスに行き、若林さんと音響の打ち合わせ。作画作業が遅れている為、ABとCDパートを別に作業を進めることを検討する。

96.9.18(水)
 出版部野崎さんが15万円かけて購入した「古事類苑」が送られてくるが、なにぶん明治中期に出された本の復刻版のため、漢文が多用され、文字がびっしりと詰まった難解な書物。復刻者としては、この程度の漢文が読めない人間がこの本を買うはずがないと考えたのか。。

96.9.21(土)
 絵コンテ1,304~1,338までアップ。計1326CUT 106分16.5秒
 清水さんの打ち合わせが行われる。CUT1,318~1,338まで21CUT。あとで2CUT追加予定。
 遅れていた「ツール・ド・フランス89」のビデオが送られてくる。早速宮崎監督に。

96.9.23(月)
 宮崎監督、ツールのビデオを見て「インデュラインが登場する前のツールの方が圧倒的に面白いじゃないか」と興奮気味。

96.9.26(木)
 さっぱりジブリに出社しない高畑監督に業を煮やした鈴木プロデューサーの命を受け、高畑監督宅へ様子を見に行く。ジブリに来ないのはジャック・プレベールの詩の翻訳に熱中しているかららしい。今日で完成するので、来週火曜日の夕方から出社したい(明日から、と言わないところが凄い)とのこと。高畑監督曰く「いやー来てもらって本当にうれしい。毎日、今日は会社に行かなきゃ、と思いながら休んでいたので、良心の呵責に耐えかねていたところだったんです。来てくれて心の重荷が取れました」ですと。

96.9.28(土)
 デジタルCUTのラッシュがいくつか上がって来る。16ミリと35ミリでラッシュを見るが、二木さんの虫が飛ぶCUTがリテークに。虫が平面的で規則的に飛びすぎるというのがその理由。
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