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男鹿和雄インタビュー

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「種山ヶ原の夜」のDVDと絵本を制作した男鹿和雄さんに話をうかがいました。今回のDVDをつくることになったきっかけや、『種山ヶ原の夜』という作品との出会い、宮沢賢治作品について想うことなどをじっくりと語ってもらいました。
インタビューは、小冊子 『熱風』 に掲載されたもので、より多くの人に読んでもらいたいと思い、ここに再掲載します。



「宮沢賢治作品に挑むには、もっと準備が必要だったかもしれないけれど、出身地、秋田で体験した森での草刈りや自然との関わり。その実感をたよりに、やっと制作し終えたという気持ちです」


種山ヶ原との出会い

――

原作となった宮沢賢治の『種山ヶ原の夜』に出会ったのはいつ頃だったのでしょう?


男鹿

はっきりとおぼえてはいないのですが、「もののけ姫」(97年)の制作が終わった頃だと思います。
僕は本を読まない子供だったものですから、賢治の作品は『風の又三郎』や教科書に載っている作品くらいしか読んだことがなかったのです。それでちょっと読んでみようと思いましてね、仕事もかたづいて時間ができたときに、
ちくま文庫の全集を買い込んで、タイトルを見ておもしろそうだと思った短編から読んでいきました。
『種山ヶ原の夜』も種山ヶ原という名前に惹かれたのだったと思います。妙な名前だなと。
そのときは種山ヶ原が実在する場所だということも、賢治が多くの作品の舞台にしていることも知りませんでした。
どこかに実在するのかなと、漠然とは想像していましたけれども。


――

同じ賢治の作品で、『種山ヶ原』というタイトルの作品もありますが、どちらを先に読まれたのでしょう?


男鹿

『種山ヶ原』の方だったかもしれないです。『種山ヶ原』は、『風の又三郎』に近い作品だなと思いました。
その後に『種山ヶ原の夜』を読んで、印象に残っていました。『種山ヶ原の夜』は北上山地の種山ヶ原の高原で、3人の農夫たちと伊藤という青年が、早朝からの草刈りに備えて一晩を過ごすという話です。
僕にとってはこういう生活感のある作品のほうが、物語のなかに入っていきやすいのです。
都会に住む人にとっての生活感からは離れているとは思いますが、そうしたことになぜ生活感を感じるかというと、僕自身、高校2年生の時に2週間、草刈りのアルバイトをしたことがあるからかもしれません。
『種山ヶ原の夜』の登場人物のように、草を刈るために夜中から出て行くということはありませんでしたが、高原で突然雨が降ってきて、雷が鳴って、ベテランの草刈りの人に「鎌を遠くに捨てろ!」といわれたり、飯場でのちょっとした出来事も今でもよく思い出されます。自分もそういう体験をしているので、草刈りは生活の一部であるという実感があるんです。ただ、草刈りをする場所の描写が原作には出てこないので、あとで絵にするときに困りました(笑)。


――

「DVD用になにかつくってみないか」と提案があったとき、すぐに『種山ヶ原の夜』を挙げられたと聞きました。
そのときには、具体的なイメージが出来ていたのですか?


男鹿

そのときは、なんとなくこんな作品にできたらいいなというイメージしかありませんでした。
僕はずっと背景美術の仕事をしていて、演出するのは初めてです。あとになってたいへんな仕事だとわかりましたが、そのときは紙芝居風の映像にすれば出来るかもしれないと軽い気持ちでやらせてもらうことにしたのです。
でも、やはり背景美術と演出は、まったく違うものでした。 僕は自分も物語の中に入り込んで、登場人物が見た風景をそのまま再現したいわけです。絵だったらなんとかその方法で描けると思うのですが、映像の場合は難しい。
イメージを再現するだけではなくて、ドラマ仕立てにして、見ている人にストーリーが伝わるようにしなければならないですから。
原作をきちんと読み込んで消化して、自分なりの考え方をまとめてからはじめたらよかったのですが、制作しながら考えていったので、あとでいろいろと迷うところが出てきました。 それは、キャラクターを作るときも同じでした。


――

キャラクターを作るということも、初めての挑戦だったわけですね。


男鹿

男鹿 原作では眠り込んだ伊藤が、夢の中で樹霊と話をします。賢治は“樹霊”としか書いていないし、資料を調べてみても今まで絵にした人はいなかったようなので、具体化するにあたっては試行錯誤しました。
原作は舞台劇のために書かれたもので、樹霊の役は子供たちが演じているわけです。最初は子供たちが演じている様子をそのまま絵にしようかとも考えたのですが、やっぱり木のキャラクターにしたほうがいいような気がして。
楢と樺と柏の樹霊を、木の形をしたキャラクターとして描きました。でも、キャラクターをいろんな方に見てもらったら、あまり反応が良くなくて(笑)。樹霊のキャラクターをどうするかでしばらく悶々としていました。そうしたら、あるスタッフから「木の根元にいる小さな葉っぱを使ってみては」というアドバイスをもらいました。葉っぱにしてみたら、ずっと描きやすいということがわかりました。可愛らしいですしね。
それからまたいろんな方に見てもらったら、皆さんそのほうがいいと。


――

樹霊の目を、葉の虫食いの穴に見えるように描いているのは面白いと思います。目玉を描き込むのではなく、虫食いの穴を目に見せるという発想は、どこから生まれたのでしょうか。


男鹿

よく散歩や山歩きをするのですが、そういうときに実際に葉っぱを見て、虫食いの穴が目やほくろに見えることがあるんです。




自然に対する想い

――

伊藤は、山の一部を払い下げてもらって、そこで木炭焼きをしたいと思っています。樹霊たちは木を伐らないでと頼むのですが、木を伐らなければ木炭は焼けない。伊藤が困っていると、大楢が「そだらそれでもええべ。伐った木は大事に使ってけらい。
ええ木炭、焼げばいがべ」と言います。この大楢のセリフは、原作にはないですね。


男鹿

山のふところの大きさを思って加えたセリフです。賢治が生きていた時代の人々は、木を伐ったとしても、今のように乱開発をするわけではありません。最小限、木炭を焼く分だけ伐るのだったら、山も許してくれるのではないかと思ったのです。
それから、樹霊のあとにお雷神が出てきて、人間に自然の怖さを見せつける場面がありますが、自然の恵みがなければ人間は生きていけないけれども、一方で台風や洪水もあって、自然にひどい目にあわされることもある。
だから、人間はもっと謙虚にならなければ。謙虚になって、自然の恵みの有難さを知らないとたいへんなことになる。
― そういう想いもこめて、入れたセリフなのです。


――

賢治が生きていたら、そのセリフについてどう思うでしょうか。


男鹿

賢治の『注文の多い料理店』の前書きに、 〈わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。中略。
ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。〉 という文章があります。そういう想いが、僕にもありました。
賢治が僕の加えたセリフについてどう思うかわかりませんが、自分なりに自然が語りかけているものについて描いたつもりです。
とはいえ、あんなに偉大な人と同じなんて大それたことは言えませんが。
ただ、賢治の作品を読んでいると、共感したり、分かる描写がいくつもあるんですね。


――

種山ヶ原にも取材で訪れたそうですが、男鹿さんの生まれ故郷と比べてどんな印象を抱かれましたか?


男鹿

種山ヶ原がある北上山地と僕の故郷がある奥羽山脈は、似たような感じかなと思っていました。でも実際に行ってみると、結構違うものですね。北上山地のほうが明るいし、なだらかです。雪も降るけれど、奥羽山脈ほど多くないですし。


――

「種山ヶ原の夜」の最後に、種山ヶ原をパノラマで見せているシーンがあります。


男鹿

あの“こもんとした山”を描きたくて、作品をつくったようなものですから。それはもう、描いていて楽しかったです(笑)。
取材に行ったとき、ああいうパノラマがずっと見える。気持ちのいい場所だなあと思いましたね。フワッとした雲が浮かんでいて。
山の上だけれども、奥羽山脈のように高い山で遮られないから、空が広い。
DVDでは、その気持ち良さを、アンサンブル・プラネタのみなさんの歌が、さらに広げてくれましたし。
取材では雨が降る直前に帰らなければならなかったことだけが残念です。
資料として読んだ『賢治と種山ヶ原』(鳥山敏子編・世織書房刊)で根子吉盛さんが話されたところによると、雨のときが素晴らしいそうなので。それに、もともと僕も雨は好きですし。
僕は毎日散歩に出るのですが、雨の日も散歩を欠かさないんです。
雨に濡れるのも気持ちいいし、霧で霞んだ杉林などは相当スケールがあって良いんです。
雨や風のときのほうが、普段目にしないような山の表情を垣間見ることができる。発見も新鮮味もあるのです。


――

「種山ヶ原の夜」の中でも、雨の中で主人公の伊藤が踊るシーンがあります。「ホウ、ホウ」と言って楽しそうに踊る。
ああいう感じも分かりますか?


男鹿

分かりますね。さきほどお話した草刈りのアルバイトのときも、雨の日がありました。雨が降ると、大きな木の下で立ったまま弁当を食べる。座って食べても同じですからね。できるだけ木の幹に近いところで食べれば、少しは雨も防げるかなと思って。
でもずっと降っていると雨漏りがすごいから、弁当にも雨水が入って、そのままお茶漬けになったり(笑)。
でも、それが好きだったんですね。


――

高校2年生のときに草刈りのアルバイトをしたということですが、作品に出てくる伊藤は19歳。ちょうど同年代です。


男鹿

そうですね。原作の伊藤の素性は、学生らしいとか、どこかの若旦那らしいとか、いろんな説があってよく分かりません。
ただ、若造であることは確かです。あの頃の19歳は、今よりもうちょっと大人だったかもしれませんが。
そういう意味で伊藤を高校生の頃の自分に重ね合わせたところはあります。一人前に仕事ができるうれしさみたいなものも、伊藤は感じていたのではないかと。一生懸命働いて、なんだか楽しい夢を見たという、そういう話ですね。




自然に対する想い

――

登場するキャラクターのセリフが、すべて岩手の方言です。


男鹿

DVDには標準語の字幕をつけたヴァージョンも収録しているのですが、最初は字幕なしで見てもらいたいです。
宮崎駿さんと養老孟司さんの対談(『熱風』2006年4号)で、〈言葉は中身じゃなく、音だ〉という話があったのですが、それを読んだときに感銘を受けまして。
〈相手が何かしているのを見ると、自分がその動作をするときに働くニューロンが強く働く〉、ミラーニューロンという神経細胞があるのだそうです。
言葉でいうと、相手の出している音を聞いていると、自分がその音を出しているときに働いているニューロンが、同じように働く。
そういう感じで、意味はわからなくても、綺麗な音として、言葉を聞いてもらえたらと思いました。


――

音としての心地よさは、方言のほうが出やすいということですよね。


男鹿

自分の故郷の方言よりも他所の方言のほうが良く聞こえたりしますし。たとえば九州のある地方では女の人でも「わしはな」と言ったりします。そこの出身の人は、上品じゃなくて恥ずかしいと思うかもしれませんが、秋田出身の僕が聞くと、すごくいいなと思います。僕自身、東京に出てきたときは、方言を使うのが恥ずかしかった。でも他所の人が聞いたら、秋田の方言もいいなと感じてくれるのではないかと。


――

俳優の山谷初男さんが声優として出演されています。山谷さんは同じく秋田出身ですが、声をお願いしていかがでしたか?


男鹿

山谷さんは山谷さんの世界を作ってくれました。とても良かったと思っています。
樹霊たちやお雷神さまを演じているのは、秋田の角館の子供たちです。演技は上手でなくてもいいから、本物の田舎の子の声を使いたいと思いお願いしました。田舎の子供の声は、普通にしゃべっているだけでも可愛いものです。
今は方言丸出しでしゃべる子供は少ないのですが、方言でしゃべる子供の可愛らしさみたいなものが出ていたらうれしいですね。




絵本と紙芝居

――

DVDを制作した後に、同じタイトルの絵本もつくっていらっしゃいます。絵本とDVDの違いは、作る側としてはどこにありましたか。


男鹿

もしDVDよりも先に絵本をつくっていたら、描く絵が違っていたかもしれません。フィルムにしなければならないということがなければキャラクターの描き方も少し違っていたと思います。描く絵の数も、絞られたかもしれません。
絵本は音が入っていないだけ、身軽な感じがします。絵に集中できるから、没頭しやすいというのかな。
絵だけで音も表現しなくてはならない難しさもありますが。色使いも、絵本用に描きおろした絵は、少し変えています。
原作に、夢の世界への導入部に〈舞台は青光りを含み〉という描写がありますが、その青い世界をもっと深みのある色で描きたかったので、絵本では違う色を使って表現してみました。


――

DVDは「紙芝居映像」という手法でつくられていますが、ほんとうの紙芝居としてつくっていたら、どうなっていたでしょうか。


男鹿

紙芝居でやるならば、離れたところから見ることを前提に絵を描いたと思います。それで、絵を描くよりも前に、紙芝居用の額縁をまず自分で作ってみたでしょうね。ただ今は、「こういうやり方だったらできる」という確信が持てるまでは、構想をあたためたい。そうでないと、思いが一つにまとまらないのです。僕の場合は絵を描いてみないと分からないし、漠然としたものが断片的に出てくるだけの状態では、見た人が喜んでくれるかどうか分からないですから。
それに、人前でしゃべるということも実は苦手なので、この辺りの裏山の鳥とかを相手に練習を始めることからやっていかないと。
ただもし、「これなら」と思える作品が出来たら、最初は松山の子供たちの前でやってみたいんです。
縁があって愛媛県・松山市の子供たちの版画を年に1度見に行っているのですが、この子供たちに秋田の言葉を聞かせてみたいなという思いは、行くたびにあったんですね。「種山ヶ原の夜」で版画風の絵を何点か描いたのも、そういう影響もありました。九州とか四国の方に東北の言葉を聞かせてみたいなという気持ちが、どこかにあるんです。
紙芝居は時間はかかるかもしれませんが、密かに準備したいと思っています(笑)。


(初出:『熱風』2006年6号より)