長靴をはいた猫


もっとも“ディズニー的”な作品〜大塚康生
「長靴をはいた猫」は、東映動画の長編アニメーションというより日本で作られたフルアニメーション長編漫画映画の中でもっとも“ディズニー的”な作品ということが出来ます。
 可愛(かわい)らしい小動物を配し、誰にでもわかるやさしい情緒をちりばめて子供達に甘い夢を運んだディズニーの黄金時代の長編は、その質の高い画面作りと動きの面白(おもしろ)さによって、アニメーションフィルムで興行的に成功を収めたいと考えている世界中の多くのプロデューサー達にとってある時期、目標の代名詞ともなっていました。だから、東映動画も虫プロも設立当初“日本のディズニー”とマスコミに書かれたのは偶然ではありません。今でもアメリカのドン・ブルース(アニメーション「シークレット・ニム」の製作者)や日本のサンリオなどは、ストーリーや画面作り、制作のプロセスなどであきらかにディズニー・プロを追っています。ついでですが、現在私がたずさわっている'85年封切予定の「リトル・ニモ」(製作/キネトーT・M・S)も、その制作過程ではディズニー方式を踏襲しているのです。
 そのディズニーの方法というのをひとくちでいうと、ストーリーよりもむしろキャラクターの性格を強く打ち出していく手法がとられていることです。これによってディズニーの手にかかった原作は、大幅にディズニー風に変えられてしまいます。そしてその変更の方法は、アニメーターを中心とする作画陣がストーリーの展開や画面作りの主導権を握り、プロデューサーや演出がこれを調整しまとめてゆく役割にまわることによって進められていきます。その関係は、アニメーターと演出家のキャリア・力量によって必ずしも一定ではありません。が、大まかにいって、プロデューサー兼演出兼アニメーター、はては仕上げ・撮影までを強力に支配し、ひとつの個性で作品をまとめようとするラルフ・バクシ(「指輪物語」の製作者)のやり方とはまったく対照的な方法です。作画陣個々の創造力を引き出すことには大きな可能性をもっていますが、一歩誤ればたしかに出来はいいがバラバラな作品になる可能性もあわせてもっているといえましょう。この危険を避けるために全員が作品のすみずみまで理解し、自分の担当する部分だけを考えることのないようにライカリール(コンテを仕上がりフィルムの長さで撮ったもの)を作ったり、意見交換やアイディア競争・テストなどをくりかえし行わなければならず、予算とスケジュールは厖大(ぼうだい)なものになってしまいます。
 ディズニーという人は、こういうやり方の頂点にあって最終判断者として君臨していたわけです。
 日本では市場の関係から、このような手間と金のかかる制作方法は発達しませんでした。演出(場合によっては作監を含むごく少数のメインスタッフ)を中心にして機能的・戦闘的な組織を作り、ストーリー中心主義で精密に設定されたコンテを軸に、短い期間で突貫工事をする−−こういう方法に、日本のスタッフは秀(ひい)でています。多分、他の製造業でも日本人はこういう傾向があるのではないでしょうか。
 前置きが長くなりましたが、「長靴をはいた猫」は東映動画が意図したものではなかったのですが、ベテランの森やすじさんの作監と若い矢吹公郎さんのはじめての演習という関係、あるいはおふたりの人柄からミニ・ディズニー方式ともいえるような準備・制作過程が実現してしまった作品でした。また内容的にも、他のどの東映動画の長編よりもディズニーの長編と共通した要素をもつ作品に仕上がっています。
 私達、当時の長編作画陣は前作「太陽の王子・ホルスの大冒険」で高畑勲さんによって画面のすみずみまで計算されたタイト(編注/きっちりしたの意)な演出を、そしてこの「長靴をはいた猫」で各シーンをかなり大幅に担当原画にまかせるという矢吹公郎さんの鷹揚(おうよう)な演出を経験したわけですが、原画家としては、どちらを選べといわれても困るのではないかと思っています。要は方法論ではなく、演出家の人柄と力量あるいは企画内容によるのであって、方法論だけに固執するわけにはいきません。ダメな演出ならどちらの方法でやってもいいものは出来ないし、それとほぼ同じことが、アニメーターにもいえるのです。
 私はこの映画で、ラストの魔王ルシファが化けてみせるシーンを担当しましたが、ちょうどこれと似たシーンをフランク・トーマス氏が中心となって描いた「王様の剣」(1963年 ディズニー作品)のマダム・ミムとウイザードの化けくらべシーンでそれまでに何回か見ていたので、ちょっと情ない思いをしたことを覚えています。どんなに時間をかけたとしても、ディズニーを追ってディズニーにかなう筈(はず)がないからです。
 この本では、私と宮崎駿さんが担当した部分が中心にとりあげられているので、他のシーンを描いた人達に申しわけないような気がします。たとえばピエールなどは、それまでのシーンでは、とてもあんな恐ろし気な城に乗りこむ少年とは思えない頼りない感じに描かれているのに、なぜか突然、白馬にまたがってさっそうと城に駆けつけ魔王を相手に剣をふるいます。どこで剣を練習したのかなどとは考えずに見ていただくことにして、私たちがこのラストシーンをどんなふうに楽しんで動かしたかが伝われば幸いです。
 魔王がローザ姫の手をとって暖炉のそばにいざなうシーンからラストまで全部で463カットありますが、本書ではそのうち165カットしか使えませんでした。が、大まかなアクションの展開を思い起こすには、充分な構成となっていると思います。
この文章は大塚康生さんの「あとがきにかえて」より転載しました。
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