路上の人
路上の人
『路上の人』は1985年4月、新潮社の「純文学書下ろし特別作品」として刊行された。
 主人公は、ヨナという名を持つ路上生活者。ヨナは、ヨーロッパ各地を行き来する僧侶や騎士の従者として働いている。路上で鍛えられたヨナの知恵が発する問いは鋭く、キリスト教について語れば、時に僧侶たちを絶句させるほどだ。
 そんなヨナが、コンコルディア伯爵アントン・マリアの従者となる。アントン・マリアは、異端であるカタリ派とある因縁を持ち、カタリ派と法王庁の正面衝突を避けることはできないかと腐心している人物だった。カタリとは清浄を意味し、極度に禁欲的な戒律を持つキリスト教の一派で、黒衣を身に付けているのが特徴だ。しかし状勢は決してアントン・マリアの望みどおりには動いてはいかない。十字軍は、カタリ派の最後の砦とするモンセギュールの岩峰上の城塞を目指して進んでいく。そしてヨナは歴史の十字路に立ち、その一部始終を見聞する。
 堀田善衞は、中学時代にアメリカ人牧師の下に下宿をしており、洗礼こそうけなかったが、クリスマスの時に教会で行われる演劇などには出演したこともあったという。こうした経験を原点として、キリスト教の思想と現実のはざ間にある「謎」について、何とかして書いてみたいという願望を長年の間持ちつづけていた。この願望が具体的な形になり始めるのが、1977年にスペインへとその生活の場を移してからのことになる。
「堀田善衞全集」の著者あとがきで『路上の人』について、堀田は次のように記している。
「筆者のような異教徒は何年ヨーロッパに移住していたとしても、要するにヨーロッパの“路上の人”なのであって、ヨーロッパの人間ではないのであった。(中略)」 ではこの公的かつ普遍的なるもの(編注・カトリック教会)を、最下層の『路上』から上目遣いで見上げるとしたら、どのようなものが見えて来るか、というのが、この作品を書く視点であった」
さらに
「主人公の名、ヨナ・デ・ロッタは、イタリア語で『路上のヨナ』であり、筆者はヨシエ・ホッタであった。」
とも記している。
 このように、限りなく堀田自身の視点に近いヨナの視点を通じることで、『路上の人』は単なる歴史小説でなく、現代にも通じる人間の自由と尊厳を問いかける作品となっている。
■ 解説者:加藤周一について
1919年、東京生まれ。現代日本を代表する評論家、作家。1980年、『日本文学史序説』で大仏次郎賞を受賞。そのほか評論『政治と文学』『現代ヨーロッパの精神』『芸術論集』、自伝『羊の歌』など著作多数。旧制一高から東京帝国大学医学部在学中を通じて、堀田善衞のほか、福永武彦、中村真一郎らと交流を深める。この頃の様子を描いた堀田善衞の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』では、ドクトルという登場人物として登場している。また、堀田との共著として、ヨーロッパ文化についての対話をまとめた『ヨーロッパ・二つの窓』も出版されている。
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