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監督多忙につき、ただいま番外編!

2006年7月29日

第百三十二回 吾朗・初陣

ついにこの日がやって参りました、
「ゲド戦記」公開初日。

舞台挨拶や取材のため、
吾朗監督はこの2日間多忙を極め、
なかなか日誌を更新できないので、
久方ぶりに、
ピンチヒッターなよが書かせていただきます。

とりあえずご報告すべきは、約10時間前、
午前0時からTOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた
カウントダウン舞台挨拶。

詳細は吾朗監督本人の筆を待つことにして、
ここでは舞台に現れた吾朗監督、
鈴木プロデューサーのいでたちを書くにとどめます。

まず、鈴木さんのいでたちは、風呂上がりのオヤジ。
リーバイスのジーパン(8900円)に白いTシャツ(2000円)、
足下には、全国キャンペーン先の
愛媛は松山の旅館でいただいた雪駄(0円)、
パンツはいくらか知りませんが、類推するに、
せいぜい500円くらいのものでしょう。

それを百戦錬磨の天衣無縫ととるべきか、
それとも、ただのグータラととるべきか……

対する吾朗監督はというと、
それはまるで初陣を控えた平家物語一の美少年・敦盛のよう。

練貫に鶴ぬうたる直垂(ひたたれ)に、
萌黄匂(もよぎにほひ)の鎧(よろひ)着て、
鍬形(くわがた)うったる甲の緒しめ、
こがねづくりの太刀をはき……

と、“精神的”に言えばこんな感じでしょうか、
ただ、イケメンとはいえゴルゴ13似で、
敦盛にしては少々濃すぎるキライがありますが。

さて、さて、
若武者・吾朗の戦いぶりや、いかに!?
いますぐ、お近くの劇場へどうぞ!
060729.jpg
「カウントダウン上映舞台挨拶のひとこま」

監督多忙につき、ただいま番外編!

2006年6月20日

第百五回 山手線にアレン出現

代打ナヨです。

吾朗監督は、今日も東京テレビセンター(テレセン)で、最終的な音のチェックをしています。かくいう私も、昨日テレセンに行ってきました、鍵を返しに……。
先週の土曜日に予告編の作業をした際、会議室を借りてその鍵をポケットに入れたまま帰ってきてしまったのです。

あまりにマヌケな理由で小金井くんだりから都心に出て、ついでの用事を済ませたその帰り道。山手線に乗ってふと目を上げると、

densha.jpg

アレンがマヌケな私を哀れむように、こちらをを見ていました。

昨日、今日(20日)の2日間の掲出ですが、東京は山手線ほか電車に乗る機会があったら、ぜひ探してみてください。今日も忘れ物をしてうつろな目をしたナヨが……違うか。

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2006年6月15日

第百二回 再び代打ナヨ

お久しぶりです。ナヨです。

吾朗監督は連日、東京テレビセンターで音をつける作業にいそしんでいて、あまり会社におらず、この日誌の更新も滞りがちになっています。

そこで、こうして再び私が登場したわけですが、テレセンでは音関係のスタッフの修羅場が続いているものの、現在、スタジオは静かなもので特にこれと言った出来事もありません。しかし、私の携わっている宣伝はまだまだ続いており、制作休暇を終えてスタジオに帰ってきたスタッフの晴れ晴れとした笑顔を見るたびに、取り残された気分になります。

先日、日本・オーストラリア戦がありましたが、わたしはそっちのけで仕事をしており、後半途中から会議室でみんなと観戦しました。私のとなりには美術部の高松君が座っていました。彼も1週間の屋久島旅行を終えて、晴れ晴れと無邪気にサッカーを観戦しております

「高松君、日本といえば、残り10分で逆転されるのがつねじゃないか。期待しないほうがいいよ」
「なーに言ってるんですか。縁起でもないこと言わないでくださいよ」
このとき、彼の目はまだ笑っていました。

「こののっぽのケネディーという選手は強いねー」
その後も水を差し続ける私。

そして、後半39分。
日本が同点に追いつかれた瞬間、ニッコリ笑って高松君のほうを向くと、彼の目はもう笑っていませんでした。
それどころか、怒気さえ含んでいます。その後の私の言動をこれ以上書くと、日本中を敵に回しそうなので、やめておきます。

高松君の落胆ぶりを見ながら、仕事が終わっても終わらなくても、幸せの総量は大して変わらないのだろうなと悟った夜でした。

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2006年4月14日

第七十一回 最終回(番外編の)

突然ですが、監督日誌・番外編は今日で終わります。来週月曜日からは、再び吾朗監督が筆を執ることになります。

不肖・岸本が代打を務めてわずか2週間とはいえ、いろいろありました。とにもかくにも、プリングルズネタを続け、始まって早々「プリングルズ日誌」と呼ばれるようになったとき、この番外編の運命は決まっていたのかもしれません。たまにいただいた「がんばって、ナヨチン!」という応援メールにも、嬉しいながらも、ちょっと複雑なプレッシャーを感じたりして……。「だめなものは、だめなんだよぉ」なんて。

続けるとなると負担ですが、終わるとなると寂しいもの。ジブリらしからぬ文章を書いて参りましたが、奇特にも楽しんでくれた方がいたことは大きな喜びでした。ほんの少し未練を残している自分に、次の言葉を贈って了とします。

なげきたまいそ、儚きは
この世の恋の性なれば。

おさらば。

監督多忙につき、ただいま番外編!

第七十回 監督は黙って……

今日は朝から、東京テレビセンターというところで、予告篇に音をつける作業をしました。といっても、もちろん私が作業をするわけではなく、高木さんというその道のプロにやっていただいたのですが。

私がやるここといえば、作業する素材がそろっているかどうかのチェックや、誰が何時にスタジオに入るのかといった段取り、完成したデータやフィルムの関係者への受け渡し、あとは昼飯のそばの出前をとることくらいです(誤解のないように書きますが、これを書いているのは監督ではなく代打の岸本です。決して吾朗監督が昼間からそばの出前を取っているわけではありません)。

作業してもらっている時間を利用して、ジブリから一緒に来てもらっている古城という者から、様々なレクチャーを受けます。彼はポストプロダクション部に属し、映像や音響に関してとても詳しいのですが、毒舌なのが玉に瑕で、少年のように目をキラキラさせて私をイジります。純粋なのか、ひねくれているのか……

作業を終えて7時ごろ会社に戻り仕事をしていると、9時半頃、フラリと吾朗監督が現れました。なにやら、険しい顔をしています。私の机の上のプリングルズには見向きもしません。ただでさえ濃い顔なのに、眉間にしわを寄せ、まるで般若のような顔をして煙草を吹かしています。私はこういうとき、気になっても自分からは事情を聞かないようにしています。たいていの場合、こちらから安易に水を向ければ、愚痴を言うきっかけを作ることになってしまうからです。吾朗監督は多くを語らず立ち去りました。監督は黙ってマイルドセブン、なのでした。

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2006年4月12日

第六十九回 吾朗監督、壁を叩く

夜の9時ごろ、おなかを空かせた私がお菓子を求めてスタジオを彷徨っていると、アビットという編集室から、「ドン、ドン」という音が聞こえてきます。いったい何事かとのぞいてみると、吾朗監督がモニターを一心不乱に見つめながら、拳で壁を、

「どん、どん、どん」
「とん、とん、とん、とん」
「ど、ど、ど、ど、どん」

すわ、監督ご乱心か!?
こんなことになるのなら、プリングルズを無断で食べたくらいで文句を言うのでなかった……

と思いきや、実際はカッティング(編集作業)に備えて、絵の動きと音のタイミングを計っていたのでした。そのとき取りかかっていたのは、夜戸を叩く音があり、それを聞いて中から開けるというシーン。

どのように戸を叩くのが、ストーリーのなかでしっくりくるのか。たとえば、力強く3回叩くのか、それとも軽く5回なのか。そして、それによって現在できている絵の長さを、半秒短くするのか、4分の1秒短くするのか、それともそのままにしておくのか。こういったことを、モニター上の絵を見ながら、実際に壁を叩いて実験していたというわけです。

監督の頼もしい姿に安心した私は、再び空腹感を思い出し、おあつらえ向きに置いてあったチョコレートを失敬して、部屋を後にしたのでした。

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2006年4月11日

第六十八回 「たいしたオヤジ」秘話

今日も、私が午後から外出したこともあって、吾朗監督と話す機会がありませんでした。監督からバトンタッチしたとたん、すれ違いの毎日が続いています。なので、以前吾朗監督から聞いた話を思い出して書きます。

監督は前に、宮崎駿監督について「父としては0点」といったことを書いていましたが、実は一度だけ「たいしたオヤジだった」と漏らしたことがあります。それはこんな話でした。


その機会があまりなかったということもあって、父に遊んでもらうのは、とても楽しかった。そして、子どもにもの教えるのがうまかった。「こうやれ」というのではなく、自分でやってみせて、相手に「これは面白そうだ」と思わせる。面白そうにやって見せる天才なんです。

しかし、今から考えてみると、それは「教え方がうまい」というより「すりかえがうまい」と言ったほうがいいような気もする。だから、中学校に入る頃にはこちらもスレてくるので、なかなか思うようにはいかなかったようです。

たとえば、私が戦艦のプラモデルを欲しがったとします。しかし、当時父は無名のアニメーターで、小遣いなんてほとんどくれません。それに不平を言うと、彼は、自分は子どもの頃、木を削っていかにおもしろく遊んだのか、ってことを実際にやってみせるわけです。そして、やってる途中から自分が夢中になってしまって、こちらにはやらせてくれない。それを見ている私は、もうプラモデルどころではなくなって、自分も早く削ってみたくてしょうがなくなる、というわけ。

しかし、この作戦が百発百中だったわけではありません。ある時、弟が「怪獣カードがほしい」と言い出しました。すると父は、「しょうがないなぁ」と、手近にあった紙に怪獣の絵を描きはじめたのですが、残念ながら、弟はぶちゃむくれ状態に。そりゃそうです。彼はウルトラマンの怪獣カードがほしかったのに、父が描いたのは、とてもウルトラマンには出てきそうにない、その場で創作した怪獣だったのです。

監督多忙につき、ただいま番外編!

2006年4月10日

第六十七回 日曜夕方の油断

夜が明けました。これから、また一週間が始まるのかと思うと恐ろしくなります。

現在、『ゲド戦記』の宣伝活動も佳境を迎え、GWにむけて予告篇第2弾やら、テレビスポットやら、チラシ第2弾やら、協力各社のタイアップの仕込みやらに多忙を極めています。
なんて書くと、いかにも「バリバリ仕事してる」ように聞こえますが、正確には「多忙を極める」というよりも、「右往左往している」といった感じです。

愚痴を言えばきりがありませんが、とりあえず、コンピュータ音痴のくせにできもしないグラフィックソフト「イラストレーター」をいじくった日曜日夕方の3時間が惜しまれてなりません。

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2006年4月 6日

第六十六回 第2弾予告、制作中

代打を仰せつかって、5回目でさっそくお休みしてしまいました。
面目ありません。

プリングルズネタを何回か続けましたが、社内での反応は、「面白い」という声と「ふざけすぎで、監督日誌の名にふさわしくない」というものに二分されました。もちろん、後者が圧倒的多数を占めています。しかし、私自身のメンタリティーは疑いもなく前者。なんとかバランスをとってやっていきたいものです。

そのためには、私自身ではなく吾朗監督の生の声を少しでもお伝えしなければいけないのですが、残念ながら今日も私は一日中外出していたため、言葉を交わす機会がありませんでした。というもの、現在、予告篇第2弾を制作中なのです。

背景美術でじっくりと世界観を見せ、物語の舞台・アースシーへと誘う第1弾から一転、第2弾は見せ場満載となっております。どうぞ、ご期待ください。

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2006年4月 4日

第六十五回 美女の豹変

こうやって監督日誌を代理で書くのは、ついつい仕事の後回しにしてしまい、いつも日付が変わってからです。だから、ちょっとへばっています。思考能力も落ちています。そんな言い訳をしておいて、今日もプリングルズの話題から。

吾朗監督は、まるで日課のように、毎日始業前に3階に立ち寄ります。今日は、朝、私の顔を見るなりこう言い放ちました。

「おれは半分しか食べていない! 半分はSさんだ」

頭が疲れたときに少しずつつまもうと大切にしていたプリングルズを、空腹にまかせて、あっという間に半分も平らげておきながら、本人は濡れ衣を晴らせと言うのです。何をか言わんや、です。

それはともかく、聞き捨てならないのは、「半分はSさん」という点です。現在、鈴木プロデューサーのアシスタントを務めるSさんは、ジブリに入る前に務めていた東宝では西の横綱と謳われたほどの美女です。Sさんはきわめて優秀なアシスタントで、月100件にも及ぶ鈴木プロデューサーのスケジュールを一手に管理し、せっかち極まりない鈴木プロデューサーの要求にもほぼ完璧に応え、呼ばれれば、10メートルを3歩で飛んでいきます。しかし、鈴木さんの影響でしょうか、最近とみに声が大きくなり、その電話の声の大きさは、同じ部屋で電話中の人間が、思わず机の下にもぐって相手の声を聞こうとするほどです。

しかし、そんなSさんですが、これまでは私のプリングルズを無断で食べるようなことはありませんでした。鈴木プロデューサーに続き、吾朗監督の悪い影響が出てきたのではないかと心配です、アクティブなだけに。

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2006年4月 3日

第六十四回 プリングルズの恨み

前回、机の上に置いておいたプリングルズを食べた犯人は、吾朗監督だと書きました。それが金曜日のこと。そして、次の日出社してみると、机の上に封を切っていないプリングルズが1本立っていました。そこへ、殊勝な顔をした吾朗監督がやってきて、

「食べてばかりで悪いから……」

なんと、自ら買ってきてくれたのです。考えてみれば、ほとんど自分が食べたのだから、当然といえば当然なのですが、単純な私は不覚にもジーンときてしまいました。

「なよ、次回の日誌のネタはこれだな」
「ええ、書きますとも。書かずにおれますか!」

抜け目のないマッチポンプ式自己アピールですが、私は吾朗流人心掌握術にイチコロです。「これは、ぜひとも日誌で監督の律儀さをほめねば」。

そして今日、月曜日、お昼過ぎから外出し、午後11時ごろ会社に帰ってきてみると、無惨につぶされたプリングルスの筒がゴミ箱に突き刺さっていました。もちろん犯人は、吾朗監督でしょう。私がずぼらで、日誌をなかなか更新しなかったので、自己アピールが成就するまで待ちきれなかったようです。

果たして、明日も監督はプリングルズを買ってくるのでしょうか。もし買ってきたとしても、私は冷ややかにこう言うつもりです。

「自分の席で食べてください」と。

監督多忙につき、ただいま番外編!

2006年3月31日

第六十三回 犯人は、吾朗監督!?

吾朗監督の様子を書きたいのは山々ですが、今日は一日中外出しており、戻ってきたのは、午前0時すぎ。すでに吾朗監督は帰宅しておりました。残念。

しかし、明らかに吾朗監督が、私の席に立ち寄った形跡が残されていました。
机の上に置いておいた買ったばかりのプリングルズ(ブラックペッパー味)が、半分以下になっている!

もしかしたら濡れ衣かもしれませんが、これまでの行動から考えて、まず間違いありません。監督は日に二、三度、3階にやってきては、誰のものでもかまわず、目をギョロつかせながらお菓子をむしゃむしゃ食べ、去っていくのです。

監督多忙につき、ただいま番外編!

2006年3月30日

第六十二回 代打、ナヨチン

はじめまして、しばらくのあいだ吾朗監督の代打を務めさせていただきます、ナヨチンこと、岸本と申します。

まずは自己紹介を。

私は、去年の2月にジブリに入社しました。それ以前は、「サイゾー」という月刊誌の編集をしており、鈴木プロデューサーに対して

「アニメ業界の首領・ジブリ鈴木敏夫への
“アニメ雑誌は聞けない”危険な質問状」

といった、はなはだ非協力的なインタビューを何度も繰り返したあげく、1年後には取り込まれた軟弱者です。

現在、映画『ゲド戦記』の宣伝活動の末席に座っておりますが、宣伝についての知識もなければ、アニメーションの知識もほとんどない状態でスタートしたので、社内外の人たちに助けられながらも、日々、四苦八苦しております。

吾朗監督に余裕ができるまでの“つなぎ”ではありますが、少しでも、吾朗監督について、ジブリについて、そして映画『ゲド戦記』について、楽しくお伝えできればと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。