メインコンテンツ | メニュー | リンクメニュー

ページ内容

週一回更新コラム「ゲド戦記の作り方」

2006年3月11日

青い鳥はすぐそこに ─キャラクター(2)─

 
 監督日誌で、「ゲド戦記」の世界観とキャラクターがいかにして生まれたか、吾朗監督自身の口から、語られ始めました。


 今回は、キャラクターの第2回目。

 吾朗監督以下、スタッフが「ゲド戦記」のキャラクターをどうやって生み出したのか──鈴木プロデューサーのひと言が、キャラクター制作に与えた影響について、書きたいと思います。


 2005年2月7日(月)。ジブリ第1スタジオに開設された企画準備室で、吾朗監督がイメージボードを描き始め、映画「ゲド戦記」は、本格的な準備作業に入りました。

 監督日誌の第49回に記された、「少年と竜」の絵が生まれたのが、3月25日(金)。シノプシス案が提出されたのが4月21日(木)、完成が5月9日(月)。シナリオ作業インが5月16日(月)のこと。第50回で語られた、世界観の構築が本格的に始まったのは、シノプシス作業と並行した4月の中旬だったと記憶しています。

 まさに、激浪のごとく準備作業が進められた訳ですが、当時の記録を紐解くと、キャラクター制作は、これらの作業と、続くシナリオ・絵コンテ作業と並行して、9月6日(火)の作画インを過ぎても続けられています。
 
 
20060311_files.jpg
『企画当時の資料を整理したノートとファイル』
 
 
 キャラクター制作は、メインスタッフが、エンピツで紙に描き出すところから始まります。
 前回、映画の世界観を、西欧の様々な絵画からインスピレーションを得て作り込んでいったことを書きました。キャラクターとは、人間そのものを描くこと。吾朗監督とスタッフは、身の回りの人々から、古今東西の絵画・映画・アニメーション作品をモデルに、キャラクターを作り込む作業を続けました。

 ヒロインの少女・テルーに、鈴木プロデューサーの大好きな「春のめざめ」というギリシャ映画のヒロイン役を模してみたり、当時公開されていた「ミリオンダラー・ベイビー」の、クリント・イーストウッドを、大賢人ゲドに据えてみたり。吾朗監督が、海外からみえたお客様をジッと観察していると思ったら、翌日には壁に、その方のスケッチが貼ってあった事もありました。


 様々な試行錯誤が重ねられますが、キャラクター制作は難航します。描いても描いても、吾朗監督が、企画の初期段階からイメージしていた、「シンプルで力強いキャラクター」が、見えてこなかったのです。
 企画準備室は、鈴木プロデューサーの執務室(通称・鈴木部屋)と同じ階にありましたが、吾朗監督は、キャラクターが出来る度に、準備室と鈴木部屋をいったりきたり。紙上のオーディションが重ねられました。


 そんなある日、鈴木プロデューサーのひと言が、キャラクター制作に大きな風穴をあけたのです。


 
 「最近、パッと見て、主人公・ヒロイン・悪役と、見分けがつくキャラクターが、少なくなってきているよねェ」


 
 かつて鈴木プロデューサーが、月刊誌『アニメージュ』の編集長だった頃、アニメーションのキャラクターは、ひと目見て、その人物の性格や背景が判るように描かれていた。でも最近は、没個性化するか、均一化して見分けがつかない、と。

 更に、こう続けます。


 
 今最も、古き良きアニメーションキャラクターを継承しているのは、他ならぬ宮崎駿であり、宮崎駿作品なのではないか──。


 
 当時は、「ハウルの動く城」の公開前。鈴木プロデューサーは、出来上がりつつある映像を観ながら、「おばあちゃんソフィー」が、ひと目で何をしでかしそうか判る、非常に力強いキャラクター性を持っていると、インタビューその他で発言しています。

 いつだったか、「攻殻機動隊」「イノセンス」の押井守監督とも、キャラクターについて話をした事がありますが、押井監督も、「昔は、シルエットだけでそのキャラクターの性格が判るように、キャラクターを作っていたものだよ」と仰っていました。


 その後、鈴木プロデューサーは吾朗監督に、これまでジブリが作ってきたキャラクターを踏襲して、キャラクター作りをしてみないか、と提案します。宮崎吾朗が考える、「シンプルで力強いキャラクター」とは、まさに、宮崎駿作品のキャラクターなのではないか、と。


 それからの、吾朗監督の集中ぶりは、驚嘆すべきものでした。次から次へと、画用紙に、キャラクターのイメージを描き出し、メインスタッフが、キャラクター表に起こしていきました。


 第51回の監督日誌で吾朗監督は、


 
 私は宮崎駿的な絵しか描くことが出来なかったのです。


 
 と書いていますが、キャラクター制作の様子を目の当たりにした僕は、少々、追記したい欲求に駆られます。
 以前の監督日誌でも語られていましたが、吾朗監督は、父であり、映画監督である宮崎駿を、その作品を通して知ろうとしてきた、と言います。物心ついた時からずっと、宮崎作品に触れ、理解しようとつとめてきた彼は、おそらく世界で最も、宮崎駿のキャラクターを研究し、深く理解していたのです。

 鈴木プロデューサーが、「宮崎駿作品のキャラクターで行こう」と提案した直後から、吾朗監督は湯水のように絵を描き始めただけではなく、メインスタッフに、宮崎駿のキャラクターの特徴を解説し、スタッフの描き出すキャラクターに、具体的な指示を出してゆきました。


 
 頭身の比率から、どの位置に腰があり、足の長さはどれ位なのか。腰の位置から見て、腕の長さはどれほどなのか。肩は、なで肩ではなく、少し怒り肩になっており、最近流行の線の細いキャラクターと違って、全体にボリューム感がある。目の大きさや位置は、どういう比率になっていて……。


 
 そのあまりに具体的な指示に驚嘆した僕は、修正前後のスケッチを、トレースしてみました。一見、同じ様なキャラクターに見えても、少しの変化で、そのキャラクターの持つ性格や存在感、ひいては生い立ちまでが、ガラリと変わってくる事に、感動した事を覚えています。
 吾朗監督の解説は、キャラクターだけではなく、レイアウトにまで及んだのですが、これについては、また次の機会に、書きたいと思います。


 当時、準備室にしげく通っていたのは、現在「ゲド戦記」の作画監督である山下明彦・稲村武志と、若手アニメーター。そして、美術監督の武重洋二でした。

 キャラクター制作を担う、山下・稲村と、吾朗監督の出会いもまた、僥倖でした。「紅の豚」(動画)からジブリに入社し、以降、原画マンとしてジブリ作品の中核を担い、「ハウルの動く城」で作画監督をつとめた稲村と、「千と千尋の神隠し」で、その原画を、宮崎駿監督に高く評価され、「ハウル~」で稲村と共に作画監督をつとめた山下は、宮崎駿のキャラクターを受け継ぐ、貴重なスタッフです。

 このふたりに、おそらく世界で最も宮崎駿作品を理解している吾朗監督が、具体的な指示を出し、キャラクターを作り込んでいったのです。

 無論、それは模写ではなく、「ゲド戦記」の世界・時代背景、各々のキャラクターが背負った境遇や性格までをキャラクターに吹き込む、実に創造的な営みでした。
 そのやりとりを前に、今まで誰もなし得なかった、宮崎駿作品のキャラクターの継承が、目の前で行われていることに、一スタッフとして大きな感動を覚えたことを思い出します。


 こうして、「ゲド戦記」のキャラクターは、紙の上に息づき始めました。


 最後に「ゲド戦記」のキャラクターが、それまでのジブリ作品のキャラクターの踏襲に留まっていないという事は、ここでハッキリ明示しておきたいと思います。
 出来上がってくる映像からは、吾朗監督の演技指示をもとに、山下がとりまとめる伸びやかな動きの飛翔──稲村が主人公アレンに込めた、少年の内面のほとばしりが伝わってきます。この作品に、今までのジブリ作品にない、新たな息吹を吹き込まれつつある事を、鈴木プロデューサー以下、スタッフは実感し始めています。


 まだ皆さんにお見せできるのは、3点のキャラクタースチールと予告編の映像だけですが、新たな命を吹き込まれたジブリ作品のキャラクターを、皆さんのもとにお届けする日が楽しみでなりません。


 次回は、シナリオと、絵コンテ制作について、書きたいと思います。
 
 
20060311_chara.jpg