2006年 8月

8月1日(火)
韓国訪問二日目の今日は、吾朗監督と鈴木プロデューサーは韓国メディア向けの試写会と取材。他のメインスタッフは、午前中DR MOVIEにスタジオ見学へ。DR MOVIEの社内の様子はこちらで
午後は、ソウル市内観光になったので市内をブラブラする事に。しかし韓国は、7月に夏日が無かった日本と違い夏真っ盛り。この日も気温は、30℃を超えていて夏日に慣れていない一行は、時間のほとんどを喫茶店とバスの中で使うのであった・・。
夕方「ゲド戦記」を上映して頂く劇場にお邪魔し、韓国でも徐々に「ゲド戦記」公開の熱が上がってきてるのを感じる。夕食は、韓国興行を一手にお願いする大元C&Aの方々に焼肉に招待して頂き、昨日同様舌鼓を打ち韓国の食文化を堪能。
食後は、取材がようやく終わった吾朗監督とメインスタッフ数人で東大門市場へ。市場の熱気とそこに集まる人々の力強さに本当に感服し、今の日本に欠けている部分を見た気がした。
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「「ゲド戦記」公開予定の劇場」

ところで、ジブリでは、ミッシェル・オスロ監督の最新作をジブリの試写室で上映する。高畑監督をはじめとする関係スタッフが鑑賞したのだが、終わった後、3時間に渡って高畑監督とのディスカッションがほとんど立ち話の状態で繰り広げられた。それでも高畑監督は、まだまだ語りたいことが尽きぬ様子であったという。


8月2日(水)
今日が韓国訪問最終日。お昼過ぎの飛行機の為、慌ただしく帰国の用意をして金浦空港へ。空港でお土産として大量の韓国海苔を買い込んで皆、満足顔。それにしても、この韓国訪問を振り返ると絶えず食べてたような・・。それだけ、どのお店でもメニューが豊富で本当に美味しい料理ばかりであった。市内はエネルギーに溢れ、到着時に鈴木プロデューサーが「裏路地に入ると昭和30年代の日本がある」と言っていたのが良くわかる気がする。飛行機でたった2時間ほどの隣国に、日本が失ってしまったモノは確かにあった。韓国の人々に「ゲド戦記」はどのように受け入れられるのか、今からとても楽しみ。
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「ソウル市内で走っていた「ゲド戦記バス」」


8月3日(木)
制作の面々が動画スタッフに転向?現在、制作部に所属している清川くん、居村くんが、宮崎さんの命で、波の動画を描くことに。もちろん二人とも作画は未経験。作画机に向かい必死に描く珍しい姿を見ることに。しかしながら、どうしても1カットだけ手に負えないものがあり、制作で唯一、アニメーター出身の斎藤君が助け舟に。とは言うものの、動画を描いていたのは、随分、昔のこと。本人もかなり苦労して描いていた模様。

また、日本テレビの24時間テレビの中継の下見がジブリ美術館で行なわれる。今月の最後の日曜日の早朝に、美術館から生中継が行なわれるのだ。出演は手嶌葵ちゃんと鈴木プロデューサー。鈴木さんは、美術館入りの時間を聞いて、「出演したくない。出演したくない。出演したくない!朝6時は、いやだよ~(悲)。」と大いに嘆いている様子。


8月4日(金)
今日はジブリ野球部の練習日。このジブリ野球部、最近メンバーを集めて活動し始めているのだが、実は以前にもジブリには野球部が存在していたという。それが、世間の野球の人気低迷に伴い、部員は増えることなく、また当時の部員の高齢化?もあって、いつの間にか活動休止状態に。今回の活動再開の大きなきっかけは、出版部の伊平嬢。彼女は、こよなく野球と西武ライオンズを愛し、自らもピッチャーとしてマウンドに立つのだ。チームを作って野球をやりたいという彼女の情熱が再度メンバーを集め、現在では老若男女問わず、約20名近く所属して本格的な活動再開。実力の程はまだまだだが、秋にはどこかのチームと試合ができるようにがんばって練習中なのである。


8月5日(土)
今日はとても暑く35度を超えた。冷房がギンギンにはいっている職場にずーっといたら、風邪を引いてしまったようだった。ちなみに、3スタでは交代で風邪がはやっており、この春くらいから、ひとりまたひとりと風邪を引いていく。いよいよ次は自分の番か?


8月7日(月)
今週末OA予定の満員御礼特番の素材が必要ということで、都内までデジベのテープを持って出張する広報のNさん。ジブリは、流出を恐れて公開中の映画のテレシネ版をつくらない方針なので、特別なワークテープを社員立会いの下で抜いてもらうのだ。いろいろ、面倒な世の中になったもの。


8月8日(火)
ジブリ美術館で、大人のためのイベント「ジブリ美術館の夜」が行なわれる。ただ、台風が近づいてきており、広報部員Yの「雨男」説は決定的かと思われる!?ただ、午後には雨もやみ、夕方には見事な夕焼けが。真相はまだ闇の中。


8月9日(水)
台風もそれ、午後には青空が。月いちの動画協会の委員会で秋葉原に出かけたのだが、不自然なほどに見事な青空。東京では、なかなかこんな青空は拝めない。思わずシャッターを押す。
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8月10日(木)
アメリカから帰国したばかりの吾朗監督の取材が行なわれる。インタビュアーはノンフィクション作家の吉田司氏。とてもユニークな方で、「下下戦記」で大宅賞を受賞された方なのだそう。「ゲド戦記」には因縁のようなものを感じるということで、どのような記事になるのか、楽しみでもあり不安ぶもあり。。。。。


8月11日(金)
スタジオジブリはこの日で夏休みに。休み前ということで、机まわりを片付けたり、冷蔵庫の食べ物を処分したり、各所で掃除が行なわれる。これから、事務系は1週間だが、制作部門は3週間の夏休みに。ただ、システム管理だけは、この間にシステムの入れ替えなどがあり、連日出勤の予定。ご苦労様です。


8月20日(日)
この日は、休み中に亡くなった鈴木Pのお父様のお通夜が行なわれた。この日に備えて、かなりの社員が夏休み返上で準備を行ない、おかげさまで通夜は神谷町の光明寺にて、しめやかにとり行われた。弔問にいらしていただいた皆様方、本当にありがうございました。


8月21日(月)
昨晩に続いて告別式がとりおこなわれる。照りつける日差しに蝉の声だけが響きわたる境内で、静かに聞こえてくる読経だけが周囲の時間を支配する。鈴木Pもこの日ばかりはいつもの元気がないように見えた。また、関係各社のトップが続々と駆けつけ、一部では弔問外交も行なわれていたようであった。
お忙しい中わざわざいらしていただいた方、また、たくさんのお花や弔電、心より御礼申し上げます。


8月22日(火)
実質の夏休み明け。各所ではこの間各地でゲットしてきたお土産で溢れている。やたらとお菓子が充実しているジブリであった。新潟から買ってきた「柿の種」が配られた広報部では、さらに北海道からのお土産で缶ビールも配られ、さながら、広報部は宴会準備完了!という感じであった。


8月23日(水)
朝から関連事業報告会議が行なわれる。一ヶ月に一回、鈴木さんに事務系各部署の活動を報告するのである。鈴木さんもこの一ヶ月、キャンペーン、北米出張、葬儀といろいろあったのだが、久々に日常に戻って、この夏の興行のことや地方経済のこと、宮崎さんのことなどを、いつものペースで深刻かつ楽しそうに語っていた。


8月24日(木)
この日、「王と鳥」の拡大興行が発表に。名古屋は、「式日」でお世話になった「シネマテーク」さんなんだなとちょっとばかり嬉しく思う、「式日」宣伝担当者なのである。


8月25日(金)
大事件発生!第3スタジオ2階の浄水器が明け方に破裂し、大量の水が長時間にわたって流れ出し、一回と地下一階を直撃。特に海外事業局の被害は甚大だった。不幸中の幸いだったのが、地下のサーバーに被害が及ばなかったこと。システム管理のKくんにとってはそれだけが救い。ただ、かなりの貴重な書籍や資料、PCなどもダメになってしまい、被害額は、未だ計算できなていない。本当にショックな出来事だった。
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「写真は無残にはがされた一階の海外事業局の天井」


8月27日(日)
ジブリ美術館から、24時間テレビの中継が行なわれる。早朝3時過ぎから準備を始め、出社する広報スタッフと美術館スタッフ。中継スタッフも午前4時から準備開始。その後、続々と関係者がやってくる。総計80人近くいたのではなかろうか。本番の午前8時は無事終了し、思い出深い一日となる。葵ちゃんをはじめ、鈴木P、そして、関係の皆様ご苦労様でした。
ただ、たぶん2度とこんな"つらい"中継はしないだろう、いや、したくないと思う関係スタッフだった。
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「一睡もできなかったという鈴木さんもさすがに眠そう」


8月28日(月)
話題は昨日の24時間テレビのこと。午前8時という"早朝"過ぎて起きられなかったというスタッフに向けて、広報部では何度もVTRを再生する。必ず話題になるのは、鈴木さんの×××のこと。生放送でまさかあんなことを。。。。あと、裏でやっていたパロディ番組のことなど。結構な数の人が見ていて、鈴木さんの直筆の"絆"という文字を大きくクローズアップしたりして、ついに鈴木フォントが他局も制覇かと話題になっていた。


8月29日(火)
どうも3スタの電気製品の調子がおかしい。本日、シュレッダーが突然異音を発してご臨終かと思ったら、電子レンジも妙な音を。加えて、FAXまでもがどうも送信不能の様子。そういえば、休み前にはカラープリンターを修理したし、広報部のデジカメも電源が入らなくなってしまって修理した。加えて、先週の浄水器の破裂。何かがおかしい。電話機の保留ランプが消えなくなったこともあった。きっと何かが起こる予兆に違いない。夏も終わりだというのに、ちょっとゾッとする話である。


8月30日(水)
広報部員のNさんは、実は出向でジブリにて働いてもらっている。そのNさんが、出向元でジブリでの仕事ぶりを発表する機会が合り、数日前からジブリ社内でビデオカメラを片手に暗躍していたのだが、その映像作品がようやく完成したらしい。題して「ジブリ ウルルン滞在記」。どうも下條アトム風のナレーションから始まる力作らしい。見たいような見たくないような。。。。。


8月31日(木)
AERAの撮影で朝から美術館へ。吾朗監督のグラビア(?)写真を撮るのだ。館内や屋上で開館前に撮影したのだが、美術館のスタッフから、「あっ吾朗さん!」「吾朗さんだ!」と次々に声をかけられる。それも、ちょっと憧れの眼で。。。。美術館が吾朗監督にとって居心地が良い場所であったのも納得できるような。